2018年 世界一周旅行 in スペイン その2 バルセロナ

ご覧頂きありがとうございます。ヒロです。
 
再びスペインに戻ってきました。次はバルセロナです。この町はポルトガルより道路も広く自動車の数や街並みから都会であることを伺えます。街並みは石畳と綺麗な広場と石像と噴水と、という感じでいつものヨーロッパの町です。
 

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今回のヨーロッパ旅行で一番天候が悪かったのがこのバルセロナです。到着早々、何か白いものが舞っているといると思ったら雪でした。この雪交じりの雨、霙は私が滞在する間しばらくこのような天候が続き、私のモチベーションを下げてくれました。外は出ると凍える寒さで外出するのが億劫になります。
 
今回の宿への移動に関しては特にトラブルも無く。まずリスボンのポルテラ空港には地下鉄で移動します。リスボンに滞在中は何度も地下鉄を利用していた為、特に迷うこともありませんでした。空港から飛行機に乗って約2時間。バルセロナ空港に到着後は、市内に向かうシャトルバスがあったのでこれに乗って移動しました。カタルーニャ広場でバスを降りそこから徒歩で宿に向かいました。広場に着いたのが丁度お昼時で、宿に向かう前にマクドナルドで昼食を取ります。ヨーロッパに入ってからは物価が高く、マックには頼りきりです。といってもハンバーガーセットを頼んでも1000円近くするので決して安くはありません。タッチパネル式の機械でオーダーを済ませ、カウンターに向かうと、栗色の天然パーマの青年が色々と世話を焼いてくれました。勝手がよく分かっていないアジア人だと思われたのでしょう、カウンターのこの位置で待つんだ、とか客席はこっちにもあるとか言って、私の重たい鞄まで持ってくれました。このパターンはどこかの国で体験した事があります。慌てて、ありがとう。でも鞄思いから大丈夫。と伝えますが、彼は私は力持ちだから心配ない、と言い鞄を持って階段を上がってくれました。そして私が席に座るとにっこり笑って去っていきました。彼のその姿を見て、彼を疑ってしまった自分の心が随分汚れてしまったような気分になってしまいます。私はこの旅行で随分と擦れてしまったようです。
 
さて今回泊まったのは、Party hostel kabulという宿です。レイアール広場をぐるりと取り囲んだ建物の一角にありました。いつものことながら入口が分からず周辺をウロウロしてしまいました。前回知り合ったユキくん情報によると、Party hostelというのは宿のスタイルの事で、宿泊客皆でどんちゃん騒ぎして、皆で夜の街に繰り出すというスタイルなのだそうです。確かに宿の受付周辺はバーカウンターやらビリヤード台などがあり、洋画に出てくるバーのようです。この宿が凄いところは無料で朝食と夕食が付いてくること。ビールやサングリア(果物などが入ったワイン)が2ユーロ、時間帯によっては一杯無料だったり、かなりサービスが充実しています。宿周辺で普通に飲むと5ユーロぐらいします。酔っ払いが多いので、宿泊客次第ではドミトリーの部屋が騒がしかったり、中には歌を歌いだす連中もいたところが難点でしょうか。
 

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私は夕食後、2ユーロのサングリアを飲みながら欧米人のどんちゃん騒ぎを眺めていたところ、スペイン人のイケメンの若者に声を掛けられビリヤードを一緒にすることになりました。チームはビリヤードくんと私、相手は彼のガールフレンドと女友達。ルールが良く分かりませんでしたが、彼らの身振り手振りで何とかゲームをこなします。腕前はビリヤードくんが一番上で、他三人はほぼ拮抗しているといったところ。一ゲーム目はビリヤードくんの活躍でこちらのチームが勝利。もう一ゲームやりたそうでしたが、人見知りの私はアルコールが入っていても、こういう場は厳しい。お礼を言ってバーを離れました。外国でも人見知りの性格は治せませんね。相手が日本人、かつ一人でいるところなら何とか初対面で話しかけられるかな、といったところです。
 
今回向かった観光地はこちら。まずはサグラダファミリア。建築家ガウディの設計した大聖堂で未だ建築途中だという事で有名です。入場料はその場で購入すると19ユーロ、オンラインで予約すると15ユーロでした。外見も独創的ですが。内部の外壁は意外とシンプルに見えます。しかし外壁部に色とりどりに彩飾されたステンドガラスから光が差し、白い大理石がその光を浴びて輝いていました。巨大な柱は樹木を模っており、上方を見上げると枝分かれしています。主祭壇にはキリスト像が飾られており、それは周辺の柱からワイヤーで固定されていました。三十分毎にパイプオルガンの演奏(但し録音)が堂内に響き渡ります。
 

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グエル公園にも行ってみました。この公園もガウディ設計です。市内からは少し離れています。ここには地下鉄で移動したのですが、最寄りの駅から1km程。距離はまだ良いのですが、公園は高台にあり、道中全て急な上り坂。ルートを失敗しました。地元民も不便に感じているのでしょう、エスカレーターが設置されていましたが、半分近くが故障。
 

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そして雪混じりの雨で、寒さにガタガタ震えながら何とか公園に到着。しかしまたしても有料。寒い中野外をウロつく気力も無くなり遠目から写真を撮るにとどまり、とっととバスで市街に戻りました。
 

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ピカソ博物館に行きました。やはり寒い日は暖かい家内観光に限ります。ピカソは例の独創的な絵画で有名ですが、初期の頃は普通の絵を描いていたようです。初期の作品は小さく、キャンバス地だけでなく、木の板に直接描かれているものもあります。スケッチなどは日本の漫画のようなタッチでユーモラスです。中期になると大型の作品も多く描かれ、終期には例のデッサンが狂ったような絵が多く描かれます。正面と横からみた顔を一つの絵にしてしまったかの様な絵を見ていると落ち着かない気分になります。昔読んだ小説に「理解する能力が無ければピカソも只の落書きだ」という一節がありましたが、私にはやはり理解する能力はありませんでした。
 
宿に帰るとき、宿のすぐ横にフラメンコのステージが行われていることに気付きました。渡りに船というところで、ステージ開店時間にさっそくお店に行ってみます。妙齢の女性と細身の男性のダンス、激しく打ちつけられる踵と華麗に舞うダンスに息を呑みました。写真を撮りましたが見直すとブレブレだった事が残念。
 

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次の日は晴れており、日が高くなるにつれ気温が上がってきました。厚着でいると汗をかくぐらい。この日向かったのはサンタマリアダルマル教会です。この教会は大きく重厚で質実剛健な建築です。建物内外にはそれほど装飾がなく、巨大な柱の継ぎ目、表面もあまり手が入れられておらず、無骨な印象を与えます。
 

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サンタエウラリア大聖堂です。この聖堂は内外に多数の装飾があります。スペインの他の教会でも見られた、繊細で精密な装飾が施された祭壇がありました。
 

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サンタエウアリア大聖堂を出ると、正面の広場に骨董市が開かれようとしていました。装飾品、古本、人形、タイプライターなど。見て回るだけでも楽しめました。深夜特急のエピソードの真似して何か良い物がないか物色したところ、懐中時計を見つけました。両面ガラスで内部の歯車が見えていてなかなかカッコいい。しかし年代物ではなさそう。お店のおじいちゃんに値段を聞くと60ユーロ。しばらく考えた後、やっぱ良いやと去ろうとすると、いくらなら買うと尋ねられ、30ユーロと言ったところ、そんなに安くできない、50ならどうだ?と尋ねられました。この調子なら40か45で買えそうでしたが、考えておくと言いお店を離れました。また時間があったら戻って買っても良いかなと思いましたが、そのまま忘れてしまいました。おじいちゃんごめん。
 

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サバトリョ。ガウディ設計の建物です。入場料がえらく高い!25ユーロ。興味はありましたが高すぎるので断念。建物の前にはスケッチブックを抱えて絵を描く若者たちが。学生でしょうか。
 

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バルセロナに来た時にバスから見かけ気になっていたArenasという場所。円形状のコロシアムのような建物で、調べてみるとショッピングモール。中は日本のデパートぐらいの広さでした。屋上に登ると、ぐるりと周りを一周することができ、レストランもありましたがどこも高い。周りの景色を眺めると高台に何やらお城のような宮殿のようなものが見え、行ってみる事にします。
 

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二つの大きな柱の脇を抜け、階段を登り、噴水の横を通り、エスカレーターで丘を上がると正面に巨大で美麗な建物が。建物正面はちょっとした広場になっており、多くの人達が石のベンチに腰掛けくつろいでいます。小さなカフェもあります。後ろを振り返るとバルセロナの市街地が一望できました。
 

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建物の説明を見るとその建物は国際美術館らしく、せっかくここまで登って来たので見学する事にしました。もちろん有料。12ユーロです。中はいくつかのブースに分かれ、ロマネスク、ゴシック、現代美術などのブースがあります。まずロマネスクブースを見てみます。モルタルの円形ドームの内側にモザイクの壁画が貼られています。部分的にしか無い事から、元はどこかの寺院にあったものでしょうか。題材はキリスト教。今まで私が見た絵画は印影があり、立体的なものが多い印象ですが、これらは逆に平面的、線もとても太く描かれています。キリストや12人の弟子、司祭、翼が四つ、六つある天使などが描かれています。彫刻も線はシンプル、どことなく日本の仏像の様な印象を受けるキリスト像です。木材で作られている事もその印象を強めます。
 
ゴシックブースを見てみます。題材は同じくキリスト教。こちらは若干リアルタッチ。聖人(キリスト教の偉人)やキリストの復活の場面、地獄の様子などが描かれていました。残酷なシーンが頻繁に見られます。聖人の描かれ方が独特で、一枚のキャンバスが漫画のように枠があり、中央に聖人の凛々しい姿が描かれ、その周辺に聖人にまつわるエピソードが描かれています。私が知っている聖人は目を抉り取った(抉り取られた?)聖ルチアと逆さ十字架の聖ペテロぐらいです。これを見ると聖人の最後は皆凄惨なものだったようです。
 
道を歩いていると、ブケリア市場というものがありました。中を覗いてみると観光客用の市場という様子で、入口付近にはお菓子の量り売り、果物屋等、奥に進むにつれ、肉、ハム、野菜、魚なども取り扱っていました。お腹が減ってきたので市場内のお店で食事しようと思ったのですが非常に混んでおり、かつ高かったので断念。
 

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宿の近くにあったテラス席のお店でタパス(スペインの料理スタイル、一皿頼むとお酒がついてくるらしい)を注文することにしました。スパゲッティとピザのどちらにするか聞かれたのでスパゲッティカルボナーラを注文。タパスにはイカリングとクリームコロッケ、フライドポテト。飲み物はビールを頼みました。タパスの味はまあまあ。スパゲッティはそれなりに美味しかったです。料金を払う時点になってビールの分も別途とられていることに気付きました。おいおい別料金かよ。自分が入ったお店の名前をチェックすると「東方飯店」とあります。観光客用のメニューなのでしょう。
 
今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in ポルトガル その1 リスボン

ご覧頂きありがとうございます。ヒロです。
 
ポルトガルリスボンにやってきました。
ポルトガルは西に大西洋、周りをスペインにぐるりと囲まれた小さな国です。しかし大航海時代はこの国もイスパニアの一部の重要な拠点としての役割を持っていました。街は石畳に覆われ、お洒落な建物が立ち並び、小さな可愛らしい路面電車が走っています。なんだか最近同じような文言を何度も繰り返しているような気がします。。。
 

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セビリアのバスターミナルでバスを待っていると、前から「こんにちは」と日本語が聞こえ、ビックリして顔を上げると目の前に日本人女性が。モロッコで私の姿を見かけていたらしく、声をかけてみたそうです。彼女は女性二人組でヨーロッパ何カ国か回っており、次は私と同じ行き先のリスボンに向かうそうです。しかし残念ながら私とは異なるバス会社でした。リスボンで時間があったらまた会いましょうという約束とLineで連絡先を交換。一足先に出発する私はバス前で待っていると、今度は若い日本人の若者と出会いました。彼はユキさんといいヨーロッパを周っているそう。彼とはその後リスボンで一緒に行動する事になります。リスボンのバス停に到着したのは朝6:30頃。まだ外は真っ暗です。ユキさんは宿もまだ決まっていなかったという事で、私が予約していた宿に一緒に行ってみるとの事。バスを降り、まずは近くに地下鉄の駅があったはずなので歩き出し、ほどなくすると入口が見つかりました。丁度私たちが着いた時間が始発時間だったらしく、駅員によって扉が開かれました。
 
券売機で乗車券を購入。行先を選択する必要が無かった事から、距離に関係なく一律1.45ユーロのようです。地下鉄に乗り、宿の最寄り駅であるAvenidaに到着。外に出るとお洒落な建物が立ち並ぶ大通りの真ん中に出ます。宿はこの大通り沿いにあるようですが、本当にこんな場所に安宿があるのかと訝しがりながら歩き出します。宿の近くまで来ましたがそれらしき建物は見つかりません。「あった!」とユキさんが歓声と同時に指差したその先には、壁の小さなボードにNew Lisbon Concept Hostelという宿の名前が。おそらく景観を損ねないように派手な看板を設置することが出来ないのでしょう。周りを見ても原色のネオンといったものはありません。
 
宿に入り荷物を預けると、宿のフロントでシントラのロカ岬への行き方を尋ねます。ロカ岬とはユーラシア大陸最西端にあるという岬で、私の読んだいくつかの旅行記にも良く出てきた場所です。同じ質問をよくされるのか、宿特製の案内マップが用意されており、これを使って説明されました。これによるとLisboa - Rossioという駅で電車に乗り、シントラ(Sintra)駅に移動。その後403番のバスに乗って移動するようです。まだ早朝だったのでカフェが開くまで待ってから移動しようと思っていたのですが、まだチェックインしていないのに朝食を食べていいよと言われありがたく朝食を頂きます。ユキさんはまだ宿を決めかねており悩んでいましたが、私はロカ岬を目指して出発することにしました。後で彼に聞いた話では、彼はお腹の調子が悪くその日はずっとトイレにこもっていたとのこと。また宿は別のところにしてました。後日彼と一緒にシントラに行き、私は二度シントラに行った事になります。
 
さて、まずはLisboa - Rossio駅に移動、チケット売り場でシントラまでの乗車券を購入します。値段は16ユーロでした。高いなあと思っていたのですが、これは一日乗車券だったことに気付いたのは後の事で、リスボン市内からシントラ地区間の電車の乗車券、及びシントラ地区のバス乗り放題のチケットでした。大きい割にがらんとしたLisboa - Rossio駅のホームから電車に乗り、揺られること40分ほどでシントラ駅に到着。シントラ地区も有名な観光地らしく、宮殿や庭園などがありました。
 

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一人で来た時にはシントラ宮殿だけを見学しました。シントラ宮殿は素朴な小さな宮殿で建物そのものよりも窓から眺めた町の風景が美しく印象的でした。床や階段、手すりなど所々に木材が使われており、なんとなく親しみが感じられます。
 

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ユキくんと二人で訪れた時にはレガレイラ宮殿に行きました。ここはとても庭園がユニークで、巨大な縦穴や長い洞窟が掘られ、それらがつながり合い、庭のあちこちに繋がっているのです。その様子はまるでテレビゲームのダンジョンのようです。道や洞窟がどこに繋がっているのか確認しようと庭を二人で歩き回り、それを楽しんでいる自分に気づきました。子供なら大喜びすると思います。

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次に二人で向かったのはペーナ宮殿。ここは周辺の1番高い丘の上に建てられ、と手も歩いて行けそうになかったので、バスに乗って移動。お城は白、黄、赤などで塗られており、統一感の無さに違和感を感じますが、お城の居住スペースに置かれた豪華なテーブル、ティーセット、ベッドやチェストなどが置かれ、当時の王族の生活が感じられます。外壁からは遠くに町が見え、家々は皆オレンジ色の屋根と白壁に塗られているのが分かります。
 

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そしてシントラからバスに乗って揺られること30分、ロカ岬に到着します。バスから降りると右手に灯台があり、目の前には多肉植物の草原が広がり、黄色や赤色の花を咲かせていました。海を見ると、激しく岸壁に叩きつける波が見え、浅瀬はエメラルドグリーンに輝いています。岬の先端にモニュメントが立っています。ここの場所に立つと旅の終わりを感じさせ、しんみりした気分になってしまいました。私の読んだ旅行記でも、この場所を訪れた筆者達は、ほぼ旅の終局を迎えていました。実際私の旅もそろそろ終わりです。ヨーロッパをあと数カ国回ったとしても、残るは南米、北米だけ。南米大陸もせいぜい一、二カ国、北米も寄るのはアメリカだけのつもりです。これまでの旅路と旅の終わりを考えながらこの美しい光景からしばらく目を離せずにいました。
 

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そしてそんな感慨とは無縁の、2回目のユキくんとのロカ岬は、暗闇に覆われていました。出発時間が遅かった事、そして庭園巡りに想像以上に時間をかけてしまい、すっかり遅くなってしまったのです。夕日が沈む様子が見られるかも、という淡い期待を抱きバスに乗り込みましたが、岬に近づくにつれ辺りは闇に覆われていきました。岬に着いた時には完全に日は落ち真っ暗です。帰りのバスの終電が気になって仕方がなく、バスから降りるのが躊躇われましたが、終電は八時過ぎまであったので降りる事にしました。といっても周りは真っ暗、海も景色も見えません。しいて言うなら灯台の照らす閃光と遠くに見える街明かりが綺麗でした。
 

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リスボン市内も散策しました。ひとつはサンペドロデアルカンタラ展望台。ここには屋台があり、リスボンの街並みと海が見えました。しかし緑の柵があり景色が見づらかったのが残念。
 

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サンタジェスタのリフトは街中にあるエレベーター。ただのエレベーターではなく、上段には非常に豪華な装飾が施されています。周りにそれなりの高さのある建物に囲まれているので飛び抜けて高い訳ではありませんが、ここからの眺めはなかなか綺麗でした。実は最上階は有料ですが、その下にある展望台は歩いて入る事が出来、無料でした。この情報は先に市内観光していたユキくんに教えてもらいました。
 

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コルメシオ広場。広場中央に大きな石像があります。広場の周辺にはレストランがありテラス席で観光客が寛いでいます。目の前にテージョ川があり、砂浜の上に服を着たまま寝っ転がっている人が多く居ました。
 

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さてセビリアで出会った女性二人連れですが、リスボンについてから本当に連絡をくれました。近くのスーパーでワインを買い、彼女達の宿泊先に向かいます。彼女達が泊まっていたのはリベイラノーヴァ市場という大きなフードコートの裏でした。エアービーアンドビーというアプリで、個人所有の物件に泊まったとか。普通の個人アパートなのでキッチンがあり、彼女達の自炊にご相伴にあずかりました。地元のスーパーで手に入れたローストチキン、トマトのサラダなどのほか、なんとおにぎりと味噌汁まで!何でもお米や調味料を日本から持ってきたそうです。その晩はお互いの旅の出来事を語り合いました。彼女達の話を聞くと、旅行期間は一ヶ月半、イギリス、フランス、モロッコ、スペインと周り帰国。リスボンには一泊だけ、明日には出発するそう。モロッコで長居しすぎた為時間がなくなったそう。お酒に弱いとかでワインを飲んだのは私だけ。数時間の食事の宿に帰ります。
 
ユキくんからも連絡があり、その後数日間一緒にリスボンを観光したのは前記の通り。彼もなかなか面白い経歴の持ち主でした。英語ペラペラだったので、英語うまいね、どこで勉強したのと尋ねると、アメリカの大学に4年間いましたからとの事。エリート街道のような学歴ですが、卒業後は一旦日本に帰国し就職します。その後ドイツのワーキングホリデーを取得して、今はヨーロッパを長期で旅行中だそうです。同じ宿のロシア人の勧めでリスボンの次は、ポルトに行くとの事。やはり外国で出会う人々は一癖二癖もある人ばかりです。
 
そうそう、書き忘れていた事がありました。事はユキくんとのやりとりから始まります。
 
「ずっと咳してますね」
「うん、モロッコに行ってから喉の調子悪くて。一週間ぐらい前からかな」
「海外旅行の保険入ってないんですか?」
「いや、入ってるけど。病院は嫌いなんだよね」
「保険が切れてて使わない人は沢山いましたけど、保険に入ってるのに使いたがらない人初めて見ました。使わないともったいないじゃないですか」
「まぁ確かに・・・」
 
海外で病院に行くのは抵抗がありますが、せっかくなので保険を使ってみました。前回ベトナムでは呼吸困難で意識朦朧とした状態で保険会社に電話し、大変な目に遭いましたが今回は喉風邪なので気が楽です。
 
まず東京海上日動のサポートセンターに電話します。オペレーターに要件を伝え、薬局で薬を買っただけでも保険が効くか確認しましたが、それは駄目との事。病院の手配をお願いすると、病院の場所、予約までしてくれました。しかもメールで情報を送ってくれました。予約してくれたのはデスコペルタス病院。話しは通してあるので大丈夫ですと言われて安心出来ました。実際病院に行ってみると全然通っていませんでしたが。
 
しかし今回はかなり電話対応が違います。前回ベトナムで電話した時は、病院の場所や電話番号を教えてはくれましたが、後の連絡や予約は自分でやってと言われ、愕然としました。しかもその時は間違った電話番号を教えられたりして、何度も保険会社に連絡を繰り返し、切れそうになりました。
今回失敗したのは、通訳をつけられるのにつけなかった事。症状を伝えるだけならともかく、病院のシステムが分からないので、来て貰えばよかった。
 
デスコペルタス病院は中心街より少し離れており、地下鉄で病院に向かいましたが、そこから1kmほど。冷たい雨が降る中トボトボと歩き続けると、左手に大きな病院が見えてきました。
 
病院の受付に向かい、予約している旨を伝えますが怪訝な顔をされます。どうやらここは救急病棟の受付だったらしく、別の病棟を案内されます。教えられた別病棟の受付に行きます。受付してくれたのは太めの看護婦さん。マスカラをこんもりと塗りつけており、瞬きするだけで疲れそうです。彼女に予約済みであるという事をgoogle翻訳スペイン語で見せましたが、伝わりません。保険会社からの話しは通っていませんでした。その時、保険会社からのメールを思い出しました。メールには、要件は伝えてありますが万が通じなかったらこれを見せてくださいと書かれ、添付ファイルの書面がありました。
 
その書面を見せるとやっと納得してくれました。診察時はまたgoogle翻訳で、喉が痛い、咳が出ると打ち込み、画面を見せたら分かってくれました。薬の処方を書いてもらい診察は終了。今度は処方箋を持って町の薬局に行きます。ヨーロッパでは薬局は分かりやすい看板が付いており、緑の十字のネオン看板です。町のあちこちで見かけました。宿近くを歩くとやはりすぐに薬局は見つかりました。店内には白衣を着たおばさんがおり、処方箋を見せます。薬は飲み薬二種とスプレータイプの計三つ。スプレーは在庫がないと言われましたが、飲み薬だけで良いと良い、購入。約8ユーロ。随分と大きい箱に入った薬をもらいましたが、錠剤も日本のより一回り大きい。一錠の長辺が1cmぐらいあります。これだけ大きければ効くでしょう。その後しばらく薬を飲み続け、なんとか咳は収まってきました。
 
今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in スペイン その1 セビリア

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
スペイン、セビリアにやってきました。セビリアは昔の街並みを残した美しい街で、巨大なセビリア大聖堂が有名です。ロココ調に装飾された建物が立ち並び、街頭までロココ調です。石畳みの上を路面電車と流線型に装飾が施された馬車が町を走ります。観光客を乗せた馬車がカポカポと音を立てて石畳みを歩き回るお洒落な町でした。屋外のテラス席では、観光客なのか地元民なのか昼間からビールを飲んでゆったりと過ごしています。
 

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私が昔ハマりまくった光栄の大航海時代というゲームがあるのですが、オスマントルコイスパニアといった国名と共に、セビリアという地名をよく覚えています。ゲームではイスパニア(スペイン)は強大な力を持っている国で、フランスやイギリス等と覇権を競っており、陸のシルクロードの経由地であるオスマン帝国をどうやって抑え、東に勢力拡大する事が出来るかという時代背景の中でストーリーが進んでいくのでした。そんな訳でセビリアは一度訪れてみたい場所でした。
 
今回の移動はなかなか大変でした。バス、タクシー、フェリーと乗り継ぎ、スペインに入国、最後に再びバスに乗ってセビリアへ。移動時間は15時間程かかりました。しかも旅行経路はあまり調べておらず、行き当たりバッタリ。だんだんと行動が適度になってきました。
 
まず朝五時に起床、シャウエンの宿からバスターミナルまで移動します。今回利用したのは民営のバスで、値段も安いがバス自体はボロく座席も汚れていました。6:45発でしたが、7時過ぎに出発します。途中テトゥアンの町に到着、乗客が入れ替わります。そこから走り出してすぐにバスが止まりました。どうやらタイヤトラブルが発生したらしく、何人かタイヤの周りで作業していました。三十分ほどかけて終了したのか、バスは再び走り出しましたが、明らかに振動が酷く、乗り心地が悪くなりました。修理は完全ではなかったようです。そのまま1時間程走り続けたバスは、何もない路地で停車。前には別のバスが止まっており、そちらのバスに乗り換えるように要求されました。その後しばらくして終点のタンジェという町に10時半ごろ到着。
 
この町ではスペイン行きのフェリーは二つあり、一つはタンジェ新港(tanger med)からはジブラルタルへ、もう一つはタンジェ旧港からはタリファに向かいます。ジブラルタルの方が町の規模が大きく、その後の移動が楽だろうと予想を立て、タンジェ新港を目指します。
 
バスから降りるとそこはバスターミナルになっていました。建物に入ると沢山のバス会社のカウンターがあり、一つ一つの看板を確認していくと見つかりました、タンジェ新港行きが。しかし出発時間が12:30から。あと2時間もあります。どうしようか思案していると、カウンターの中にいたおじいちゃんが手招きしています。タンジェ新港に行きたい事を伝えると、タクシーを他の人とシェアしていく方法を勧められましたが、そんな事は出来ない自分。普通にタクシー乗り場で値段を聞くと200ディルハム。これぐらいなら良いかと思い、タクシーに乗りこみました。金の力で強引に解決です。タクシーはなだらかな海沿いの道を走ります。この道は道幅も広く眺めも良いため、バイクで走ると気持ち良さそう。
 
タクシーで40分程走ると、タンジェ新港に到着しました。ネット情報では複数のフェリー会社があり、好きな時間と値段のフェリーを選べるとの事でしたが、建物内のカウンターを見ると開いている会社はわずか数社。選択の余地はなく、一番近い時間の12時発、340ディルハムのチケットを購入します。
 

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チケットを片手に歩き始めると、小ざっぱりとしたジャケットを着たおじいちゃんに声を掛けられ、こっちだと案内されます。おじいちゃんはベンチに座り、パスポートを要求し色々と質問してきます、そして出国手続きの用紙に書き込んでいきます。始めは港の関係者かと思い、付いて行きましたが無関係の人のような気がします。案の定、出国カウンター前まで来るとチップを要求されました。まあ出国用紙を代わりに書いてくれたので良しとしましょう。ポケットの中にあった小銭全てをおじいちゃんに渡します。彼は札を要求しましたが、しぶしぶといった様子でお金を受け取り去っていきます。流石モロッコといったところ。最後まで油断出来ない国です。
 
次に出国手続きカウンターで係員にパスポートを渡しますが何故か手続きに時間がかかっています。どうやらモロッコ入国時に係員がパスポートに書いた数字が下手すぎて読めず、パソコンの記録と一致しないようです。でもこれは私のせいではありません。他の旅行者が次々と手続きが終わる中、待たされますが何とか手続きは終わりました。船の待合室に行くと若い日本人夫婦がおり、少し会話を交わします。醤油煎餅を頂きました。久しぶりの日本の味に癒されます。
 

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12時になりフェリーに乗り込みます。乗船後、船内を歩くと食堂を発見。ちょうど出来立ての料理が運ばれてきました。料理はパエリア、肉の煮込み等6種類ほど。どれも美味しそうです。他の客の様子を見ていると、お皿に好きな料理を盛ってもらい、一皿いくらというシステムのようです。見ているうちにお腹も減ってきたので私も注文します。選んだのはパエリアとタラのスープ煮込み、エンドウ豆を炒めたものなど。さらに上にポテトまで載せてくれて、こんなに食べられないと思いつつ食べ始めましたが、料理はとても美味しくあっという間に完食してしまいました。こんなに美味しいと思った料理は久しぶりです。
 

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料理を食べ終わりましたがまだ出航していません。さらにしばらく船内をうろつき待ちます。13時ごろようやく出航。フェリーはゆっくりとジブラルタル海峡を抜けていきます。近くに他のフェリーなども見られます。
 

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客席でゆったりと海を眺めてうとうとした頃にスペイン、ジブラルタルに到着しました。フェリーから降り入国カウンターに向かいます。ここでは特に問題なく手続きは終了。やはりEU圏内は手続きが楽で良いです。
ここから先の航路は全く情報を仕入れていませんでした。スペインのsimも持ってないのでネット情報も使えません。情報は全て現地収集です。出国カウンターから出たところに旅行会社らしきブースがありましたが、中には誰もおらず訪ねる事も出来ません。ダメもとで乗船券カウンターのお姉さんに話を聞いてみます。セビリアにバスで行きたいのだがどこにバスターミナルがあるのか尋ねると、港を出て少し歩いたところにあると教えてくれました。Googleマップを使って詳しい場所を教えてもらいました。港の施設を出て外を歩きだすと何だか町がひっそりしていることに気付きます。そういえば今日は日曜日でした。ヨーロッパでは日曜日には店はみな閉まってしまいます。googleマップを頼りに5分ほど歩くと、バスが停まっているターミナルを無事発見しました。
 

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チケットカウンターでセビリア行きのバスを尋ねると、17:30発、セビリア20:30到着との事。当初の予定ではアルヘシラスの町で一泊し、セビリア行きのバスをゆっくり調べて移動しようと思っていました。しかし、今日中に到着できるのであればそれでも良いかと思い、バスチケットを購入しました。まだまだ明るい日の光が私にそう決断させます。
 
バスは時間通りに出発。なだらかな牧草地が続きます。途中に風力発電の風車が沢山ある地域を通ります。牧草地の風景がモロッコと似ていると始めは思いましたがやはり違いました。それはスペインの光景には岩がない事。モロッコの山村地帯も美しい事は美しいのですが、大小の岩があちこちに転がり美観を損ねているのです。後は所々に見られる散らかったゴミも。
 

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バスは八時半にセビリアに到着しました。辺りは既に夜の闇に覆われていました。バスを降り歩き出すと、歩道に植えてある街路樹の根元に沢山のオレンジの実がやたらと転がっている事に気付きます。どんだけこの国の人たちは街中でオレンジを食べ歩いているんだとその時はおもいましたが、それは誤解だという事に後日気づきます。街路樹自体がオレンジの木で、枝にたわわにオレンジが生っていたのです。
 
程なくしてホテルのネオンを発見。Hotel Alcázar という名前です。普段馴染みのないお洒落で綺麗な室内に入りカウンターに向かいます。値段を聞くとなんと一泊65ユーロ、約9000円。今回の旅行での最高宿泊費を圧倒的に更新しました。安くしてもらえないか相談しましたがやはり無理でした。宿のWi-Fiに繋いで真っ先に行ったのは、周辺のもっと安い宿を探す事でした。調べ物も終わり、遅い夕食を取ろうと外出、ホテルの並びにあった小さなレストランに入りました。メニューを見ましたが、スペイン語で書いてあるのでさっぱり分かりません。適度にメニューの一番上に書かれているものとビールを注文すると、出てきたのは薄く切られたハムが皿に盛られたもの。完全におつまみでした。
 
高かった宿を出て、次の宿TOC hostel sevillaに移動します。この宿は一泊22ユーロ程。ドミトリーなのに安くはありませんが、部屋、シャワー室、トイレも全て綺麗でした。日本のカプセルホテルのような雰囲気だと言えば伝わるでしょうか。しばらく前から喉の調子が悪かったため、ゆっくり休むためにも設備の良さそうなこの場所を選びました。
 
セビリアの次は、ポルトガルリスボンにバスで向かう事を考えていました。そこでホテルの人に尋ねると、Pra de armasというバスターミナルを教えてもらいました。宿に荷物を預けターミナルを目指し歩くとvodafoneのお店を見つけました。値段を聞くと、普段は1.5Gbyteで10ユーロだが、プロモーション中で4.5G使えるとの事だったので申し込みました。やっと自由にネットに繋げる状態になりました。
 
バスターミナルに到着し、インフォメーションカウンターで案内されたバスカウンターで、リスボン行きのチケットを購入します。バス会社はeuroline。これでようやく落ち着いて観光が出来ます。
 
まず最初に向かったのは闘牛場。リスボン闘牛場という名のそれはグアダルギヒル川の近くにあります。黄色と赤に彩られたその建物に入ると牛の頭の剥製が飾られていました。入場料を払い、中に入るとそこで待つように言われます。時間になるとガイドが現れ案内してくれました。日本語対応した音声ガイドが無料で配られたので、それを持って場内を見学します。闘牛の歴史について語るガイドを聴きながら闘牛にまつわる絵画、ブロンズ像、闘牛士の衣装を見て回ります。最後に闘牛場の広場。円形状のスタジアムは直径50m程でしょうか。周りを座席がぐるりと取り囲んでいます。この中で今も昔と変わらず牛と闘牛士の一騎打ちが行われているのでしょう。
 

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次はオロタワー、多角形のその塔も川沿いにあります。それほど高さもないその塔の中に入ると大航海時代を彷彿とさせる昔の海図、計測器、そして船の模型が飾られています。
 

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スペイン広場。公園の中心に半円形の広場があり、中心に噴水が。その周りを取り囲むような形で水路、そして美麗な建物が建っています。水路にはボート乗り場があり、中国人家族がボートで橋の下をくぐり写真を撮りまくっています。建物には非常に多くのタイル貼り付けられており、天井まで埋めつくされています。この建物は博物館として利用されています。観光客も昼下がりの中、公園でゆったりと過ごしています。
 

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そしてセビリア大聖堂。この建物はその大きさ、外見だけでも圧倒されます。外部の装飾も見事です。石造りのせいなのか、中はとてもヒンヤリしています。大聖堂の中は天井まで何十メートルあるのかわからない程の大広間。そして壁面には絵画や彫刻が施されています。それら装飾にはみな金が施されており、当時のスペインの国力が偲ばれます。作品を見ていくとイタリアの教会とは若干違ったその作風に気づきます。躍動感あるイタリアの作品とは違い、細部まで作りこまれた装飾がその特徴の一つかと思われます。微に入り細にわたるとはこの事でしょうか。あまりに細かく作りこまれたそれらは目眩がしそうです。
 

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アルカサルはスペイン宮殿跡で、壮麗な建物と綺麗に手入れされた庭がありました。やはり建物内外には多数のタイルが貼り付けられています。
 

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こんな感じでざっと観光地を回った後は、噴水の横で日向ぼっこして過ごしました。
フラメンコを見忘れていることに気付いたのはセビリアを去る直前の事でした。
 
今回はこの辺で、ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in モロッコ その5 シャウエン

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
フェズからシャウエンに移動しました。シャウエンは青く塗られた青い街並みが有名な場所で、日本人に大人気だそうです。
 
またまたバスで移動、今回の移動時間は4時間。なだらかな丘陵地帯を走ります。オリーブの木やオレンジの木が沢山生えており、モロッコの北部は肥沃な農場地帯でした。
 
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シャウエンに到着したのは三時頃。今回の宿は予約していました。距離はそれ程離れていないと思い、タクシードライバーの呼び込みを抜け歩き始めたところ目の前に急勾配の登り坂がありました。
タクシーに乗ろうと思い、後ろを振り返りましたが既にタクシーは一台もいません。諦めて重い荷物を抱えて坂を登ります。汗だくになって宿の近くに来たところ、目の前に石壁の門が現れました。どうやら予約した宿はまたメディナの中のようです。booking.comのルート案内も入り口で終わっており、宿の場所が分かりません。
すると門の前に座っているおっさんが声をかけてきました。宿のスタッフかと聞くとそうだと
答えます。彼は私の荷物を掴むと門を潜り抜け、メディナに入りました。
街の中を彼はずいぶんと歩き回ります。「宿は随分遠い場所にあるんだなぁ」と思いながら
後ろをついていきます。5分ほど歩きようやく宿に到着。すると彼はチップを要求してきました。
やはり彼は宿と無関係だったようです。荷物を運んでもらったこともあり仕方なく少しだけ
お金を払いました。後で気付きましたが、実は宿は門を入ってすぐのところにあり、右に曲がれば良いところを、彼は左に曲がり遠回りしていたのでした。しかしモロッコという国では、こういう輩が沢山居る辺りがアジアを連想させます。
 
今回泊まった宿はabi khanchaという宿で、内装が青く塗られてお洒落な感じがします。設備はほどほど。個室でしたがトイレとシャワー室は共有スペースです。ただし元がメディナですので基本的に作りが古いです。宿のスタッフの赤ひげの青年がとても気さくで色々と世話をしてくれました。
 

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私が到着した日は、偶然にもこの小さな宿に多くの日本人が泊っていました。私と同じような一人旅行者が数名、旅行中の夫婦が一組。久しぶりの日本人にほっとします。その旦那さん曰く、このメディナの中にハマムがあるのを発見したとの事。ハマムとはモロッコ式サウナだそうで、そんなものがあるなら行ってみたいという事で連れて行ってもらいました。宿の横の店であかすりと、見た目はビニール袋に入った味噌のような柔らかな石鹸を購入。それを持って皆でハマムに向かいます。途中で他の宿に泊まっていたという日本人二人も合流し、10人ほどの日本人でハマムに入りました。石作りの建物の入り口を入り、階段を降りるとカウンターと脱衣所兼、涼み場のスペースがありました。銭湯というよりも遺跡の中にいるようです。この場で服を脱ぎ、カウンターに荷物を預けます。素っ裸で入るのはダメという事でパンツ一丁になって階段を降り浴場に向かいます。浴場の中は薄暗く、蒸し暑い石造りの部屋になっており、床の上に皆寝転んでいます。床下に温水が通っているのか、床石が暖かくなっています。壁際に区切られたスペースがあり、ここが洗い場でしょうか。ここで働いているらしき子供達やお年寄りがお湯の入った桶を浴場に運んできます。この桶のお湯を浴びて身体を洗っています。垢すりをしてくれる人がいましたが、この人数では順番が来るのは望めませんでした。この浴場の使い方ですが、まずお湯を浴びて、石鹸を身体に塗りつけ、この状態で床に五分間寝転びます。その後垢の浮いた身体を垢すりで擦り、お湯を浴びて終了のようです。旅行中はシャワーばかりで身体を綺麗に洗えていないような気がしていましたが、しばらく前から気になっていた踵の角質までスッキリ落とす事が出来ました。
 
次の日はこの青い町を見るべく、歩き回ります。町の建物は全て淡い青色で塗られています。まるで水族館の中のようですが、建物や町並みはメディナそのものです。
 

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丘の上にあるモスクから町が一望出来るとの情報を得て、モスクを目指します。途中渓流の横を歩きます。山から湧き出たばかりなのでしょう。水が透明な川を見るのは本当に久しぶりです。
 

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丘を歩き続けると、桜や梅の木が生えており、花を咲かせていました。その横にサボテンが生えているのがモロッコらしいです。
 

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三十分ほど歩き丘のモスクに到着。モスク自体はとても小さなものです。丘の上では地元の子供達がサッカーをしていました。たまにまとを外れたボールが坂を転げ落ちそうになり、慌てた子供が必死に追いかけます。
 

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モスク横の小さな広場からは町が一望できます。本当に町が全て青く塗られている事が確認できます。ここからでも町の雑踏が聞こえてきます。しばらくするとイスラム教のアザーンが流れ、町中に響き渡りました。
 

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今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in モロッコ その4 フェズ

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
フェズにやってきました。この町はメディナと呼ばれる市場が有名で、ここは迷路のように入り組んでいて観光客を迷わせるようです。
 
メルズーガからバスでの移動になります。スプラトゥースバスに乗って約八時間、深夜三時頃にフェズのバス亭に到着しました。チケット買うときには朝7時に着くと言われたのに。こんな夜中に到着しても困ります。
バスターミナルの建物に入って、日が昇るのを待ちます。寒いし硬いベンチなんかで寝られないと思っていましたが、しばらくすると寝ていました。さすがどこでも寝られる特技を持つ自分です。七時頃になり、そろそろ宿に行っても良いだろうと思いタクシーで移動します。
安宿の場所は予め確認しておいたので、そこに送ってもらいました。
タクシーから降りて宿を探します。細い路地に入り曲がりくねった道を歩いていきます。道の両脇には白壁や扉が隙間無く繋がっています。ここはどんなところなんだと疑問に思いながら歩きます。非常に細い分かりにくい道に入った先に宿はありました。
riad anass al oualiという宿です。今回も予約なしの飛び込みです。小さな木製の扉に付いた金属の呼び鈴を鳴らすと、しばらくして主人と思われる黒人の男性が眠そうな目でドアを開けてくれました。
予約してないけど泊まれるか尋ねたところ、泊まれるとの事。ただ、この時間はまだ入れないので11時まで待って欲しいとの事だったので、しばらくロビーのソファーで休ませてもらいました。十時近くになり外の様子を見ようと外に出たところビックリしました。なんと静かだった町が一変、賑やかな繁華街に変貌しています。元々狭い道の両脇に、たくさんの品物が並べられています。
もしかして、これが例のメディナでしょうか。私が居た場所はフェスエルバリ地区の旧市街メディナのようです。
 

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この地区は高い城壁に囲まれた中にあり、狭い路地が入り組んだ中に非常に多くの店が立ち並びます。よく見かける色とりどりのタイル、化粧品、衣服、皮細工、絨毯、生地、砂糖菓子、家電、メガネ、木材まで扱ったお店もありました。間口二メートル程の小さなお店がひしめき合っています。
少し歩いてみようと思っただけでしたが、少し歩いただけで本当に迷ってしまいました。道の分岐点も狭く、曲がり角に気付かず何度も通り過ぎてしまいます。そんな時、地元の若いにいちゃん達は、あっちだこっちだと適当にでまかせを言ってこちらを混乱させてきました。そもそも私がどこに行きたいのか知るはずもないのに、彼らに正しい指示ができるはずがありません。無視して歩きます。後で聞いた話では、彼らの言う通りに従ってついていったところ、狭い路地に連れていかれて金を巻き上げられた日本人がいたそう。
 
なんとか見覚えのある通りに戻り、ほっとしたところ、なんとサハラツアーに一緒に行ったドイツ人女性二人とばったり遭遇、後ろをみるとクレイジークレイジーと連呼されくさったリーゼント中国人も居ます。彼女達とは少し話したかったのですが、中国人もいたので挨拶もそこそこに彼らと別れました。
 
しかしメディナを地元の人たちはどう考えているんでしょうか。狭いし迷うし歩きにくいし不便だと感じないのでしょうか。ちょっと買い物するだけでも大変です。そういえば生鮮食品を扱う店はあまり多くないので、観光客用の町ではないかと考えてしまいます。まぁこれは狭くて混んでいる場所が好きではない私個人の意見です。
 
次の日はシャウエン行きのバスチケットを確保する為、CTMバスターミナルに徒歩で向かいます。徒歩一時間ほどかかりました。バスターミナルのあるエリアは比較的近代化された町で、ショッピングモールもありました。CTMターミナルに行き、チケットを確認します。次の日のシャウエン行きのバスは、早い便は既に満席で乗れるのは11時半からしかないとの事でそれを購入。
 
帰り道にショッピングモールで買い物、果物や酒、酒のつまみを買って帰ります。お酒を飲むのは久しぶりです。お酒は生鮮食品があるスーパーマーケット内ではなく、横にある酒屋で売っていました。イスラム圏でも場所によってはお酒も売っているのですね。
 

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ショッピングモール正面からちょうどメディナが見えました。ここからだと丘の斜面に町がある事が良く分かります。
 

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途中小さなメディナの中を通り、宿のある大きなメディナに戻ります。何度も通っているはずなのに、宿の前の小道が分からず何度も通り過ぎてしまいました。この場所は本当に迷います。やはりメディナはあまり好きではありません。
 
今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in モロッコ その3 メルズーガ

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
サハラ砂漠を見るためメルズーガにやってきました。こんなにひとつの国をあちこち移動したのは初めてです。メルズーカはアルジェリア国境近く、モロッコの東外れにあります。
 
ワルザザートからメルズーガまではスプラトゥースバスで移動しました。
8時間の道中となります。
出発時間は13時、建物の中でバスを待っていると、カウンターのお兄さんに声かけられました。
「宿は予約しているの?」「いや、してない」
「砂漠のツアーに予約しているの?」「いや、してない」
「それじゃ俺がナイスプランを提供してしてやる」
彼の話ではメルズーカに到着後、ホテルに一泊、そのあとサハラ砂漠ツアーで一泊、食事付きでどうだとの事。少し考え彼にお願いする事にしました。値段は800ディルハムで、600にまけてくれと伝えると、「ウェイトワンミニット」と言ってどこかに行きます。しばらくし戻ってくるとそれで良いと言ってきました。交渉しにいってたようです。彼にお金を渡すと100ディルハムだけ受け取り、残りは現地で払ってくれと言います。
 
出発時間になりバスは出発します。アトラス山脈を横目にバスはひた走ります。山脈はかなり近くに感じるのですが、実際には50kmほど離れています。山脈が高い事と空気が澄んでいて距離を感じさせないのでしょうか。山脈とバスの間に何もない事も拍車を掛けます。
 

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走り続けるとアトラス山脈が見えなくなり、赤茶けた山、石と小さな灌木だけの荒れた大地になります。雪山が見えなくなるだけで、一気に退屈な景色に感じます。せいぜい、火星地表はこんな感じなのかと妄想するぐらい。
 
いくつもの町を通り過ぎ、日は落ち辺りは真っ暗闇になりました。一体幾つの町を通り過ぎたのか分からなくなりました。お尻が痛くてたまりません。
夜9時にようやくメルズーカに到着しました。バスを降りると人混みに囲まれました。迎えの人かと思いきや、宿の客引きのようです。既に予約していると言っても引き下がりません。宿に電話して迎えに来てもらおうかと考えたのですが、その間もしつこく話しかけてきて電話もしにくい状況です。宿まで近かったので歩いて向かうことにしますが、客引きまでついてきました。
特にしつこかったのはおじいちゃんの客引き、カタコトの日本語で「チョットマテクダサーイ」を繰り返し、別の宿やツアーを勧めてきます。そのうち、私の宿がもう閉まってるとか言い出し、
私はブチ切れます。「嘘つくな!いい加減にしてくれ!あっちいってくれ!」無視して歩き続けるとやっと諦めてくれました。
 
果たして宿は開いてました。Le petit princeという宿で、入り口にあるイラストから星の王子さまという意味のようです。この宿の主人ザイドはニコリともしませんが、彼からはとても
心遣いを感じられました。
この宿はコの字型をした建物で、中央に小さな庭がありテーブルと椅子が置かれています。
待ち時間はこのスペースで気持ちいいひと時を過ごさせてもらいました。
 

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宿に到着後シャワーを浴び就寝。次の日はツアー開始時の三時まで町をうろつきますが、本当に小さな町であまり見るところはありません。
 
時間になると、他のツアー客が集まりました。年配の家族三人、リーゼントの中国人、ドイツ人の女性二人、そして私。ラクダに乗ってサハラ砂漠に入ります。ラクダの背中は結構揺れ乗り心地は良くありませんが、文句を言うと乗せてくれているラクダに申し訳ない。でもお尻と股関節は悲鳴をあげました。
 
砂漠の景色は素晴らしいものでした。大小様々な砂の丘が広がり、表面には風が波模様を刻んでいます。陽光の中オレンジ色の砂と空の青さの対比が際立っています。
 
町から五キロ程入ったところにテントがありました。そこからは皆で手近な砂丘に登り、砂漠を堪能します。砂に触れてみるとキメが細かいパウダー状。手触りが良くずっと触っていたくなります。
 

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日が暮れ皆でテントに戻ると料理が運ばれてきました。パンと煮込んだご飯と野菜のタジン鍋。レストランで食べたものより美味しかったです。
 
食事の時は家族連れと中国人ドイツ人グループで別れて話しをしていました。
私は英語がさっぱりなので会話に入りませんでしたが、途中中国人に英語で話し掛けられました。適当な英語で旅行を続けていると伝えます。いつのまにか横の家族もこちらの話しを聞いていて落ち着かない気分になります。
根掘り葉掘り旅行の話を聞いていた中国人が言いました。
「クレイジーだ。英語も話せないのに海外旅行なんて。しかも仕事辞めてまで何でそんな事するんだ。何で?」
彼の言葉にカチンときましたが、情けない事に英語で言い返せません。「言われなくてそんな事自分自身分かってるつーの」と思いつつも、痛いところをついてきました。
彼は本気で理解出来ないといった様子で私の回答を聞きたがって、何で何でと繰り返します。
 
ストレートな彼の言い分に驚きつつも若い中国人はこんな感じなのかとも考えますが、彼は昔の中国と日本との戦争とか色々話していたので、反日的な感情もあったのかもしれません。真偽は分かりませんが。
 
私は回答を考えてみます。昔から世界旅行やってみたかったとか、英語できるようになってから出発するなんて事したら爺さんになってるとか、持病の問題でタイミングは今しかないとか色々考えましたが、多分何を言ったとしても彼は納得出来ないでしょう。そもそも英語で説明出来ません。いつも英語での会話で参加出来ない時、自分が酷く間抜けになったように感じます。
 
アーとかウーとか言っている私に辞書を使えと言ってきましたが、めんどくさくなって説明出来ないとだけ伝えます。が彼は話をやめません。
だんだんと場が変な雰囲気になり、同席していたドイツ人女性も気まずそうですが、彼は延々とこの話をしたがります。
「‥だって考えてもみろよ。仕事やめたら今までのキャリアがパーだぜ。つぎの仕事探すのだって大変だ。異業種に行ったらまたビギナーからやり直しだ。同じ業種でもまた一からやり直さなきゃならない。仕事辞めるまでこんな事するなんて馬鹿げてる。なあどう思う?」
問いかけられたドイツ女性はめんどくさくなったのか「知らない」とばっさり切って話は終わりました。
 
この微妙な空気の後、テントスタッフの方々が太鼓でモロッコ音楽を聴かせてくれました。が、モヤモヤした気分は晴れません。
 
夜、外に出ると満天の星空、の一歩手前。一応天の川は見えました。写真を撮りましたが安いデジカメでは上手く写せず、途中からは星空を見る事に専念。
 
夜ベッドに潜りながら、さっきの彼の回答を考えてみますが良い答えは見つかりません。しいて言うなら、やらずに後悔するよりやって後悔する方が良い、でしょうか。この答もしっくりきません。正直な気持ちとしては「理由とかんなことどーでもいい。やりたいからやる、ただそれだけ。」確かにバカですね。。。
 
次の日は朝6時頃に起床、というか起こされます。日が昇り始めるなかラクダに再度乗って町に戻りました。宿に戻ると全身砂だらけになっていることに気付きます。顔まで砂だらけでした。
 
今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in モロッコ その2 ワルザザート

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
カサブランカからワルザザートまでバスで移動しました。
ワルザザートはアジフタイティリ川の両岸に広がったオアシスの小さな町です。道路も歩道も広々としており、のんびりとした雰囲気が漂っています。通りを歩いているとすれ違う
子供たちが挨拶してきます。「ニーハオ」と。
 
さて前回の記事で書いたのですが、前日に雪のためにバスが来ないと聞かされ、次の日の出発となります。
雪で走れないということは、一晩待ったぐらいで通れるようになるのだろうかという私の思いは杞憂に終わり、その日は予定通り朝7時に出発しました。
 
指定されたバスの座席に行くと、既に年配のおじいちゃんが荷物と一緒に占拠していました。モロッコに来てよく見かけるとんがりフード付きのローブを着て、狭そうに膝を曲げて腰掛けています。
私がそこは私の席だと伝えると、横の空き席を指差してそっち座れとの事。
まあ、半分くらいが空き座席だったので素直に従ってそっちに座りました。
 
バスはまずマラケシュを目指して走ります。途中の景色は広大な平地がひたすら広がっています。高速道路にも他の車はほとんどなく、バスは順調に進んで行きました。雪は全く見当たりません。
 

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12時頃にマラケシュに到着。バスの乗客は増え、満席になりました。
 
一時間の休憩を挟み、ワルザザートに向かいます。だんだんと景色が変わり、
バスは山の中を登って行きます。外に何か白い物が見えると思ったら積もった雪
でした。
 

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進むに従ってどんどん雪が増えていきます。そのうち雪が降り始めました。
標高が上がるに従って、雪まで降り始めました。道路脇に生えているサボテンが
すっかり雪に埋もれています。
地元の人は道路脇に車を停め、大人も子供も雪で遊んでいました。
そのうち雪が本格的に降り出し、風も強くなっていきました。周りの景色は
完成に雪山真っ只中です。このただならぬ光景に地図を確認、この時初めて
気付いたのですが、マラケシュワルザザートの間には大きな山脈、3000m級の山が
連なるアトラス山脈が横たわり、バスはこの雪の中、山越えをしていたのです。
この道の標高は何と2000m越えのようです。
ワルザザートに着いてから聞いた話では、ここ数日マラケシュワルザザートを繋ぐこの道は雪で通行止めになっていたとのことでした。
 

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周りは雪山ばかりです。ぱっと見、長野の雪山と代わりませんが、よく見ると山は
岩山でところどころ赤い岩肌が見えており、たまに見かける木々も背の低い小さな木
ばかり。
そして猛吹雪の中、バスが止まりました。そのまま一時間ほど停車。外は凄い吹雪です。何かトラブルがあったのかと心配になった頃、バスは再び走り出しました。途中、何台もの除雪車とすれ違った事から、道路除雪がやっと終わったところのようです。
 
ここから景色は一気に変わっていきます。徐々に雪は減っていき赤い大地が見えるようになります。一時間も走ると道路付近にはすっかり雪は無くなります。
代わりに様々な色した大地が見えてきます。この辺りは地層が保たれているのか、薄い赤、抹茶色、黄土色とくっきりウェハース状に地層が分かれており、その上に雪の白を加えた色鮮やかなこの地層になっています。時には切り立った崖になり、地層が曲がりくねってなだらかな丘となり、時には真っ平らな平地となり、遠くの丘にぐるりと囲まれてクレーターの中を走っているかのような景色など、道中楽しませてくれました。
 

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ワルザザートには夕方の6時頃到着。バスターミナル前に待っていたタクシーにぼったくられながら宿に向かいます。今回泊まったのは郊外のドミトリー宿、一泊850ディラハム、千円程度。朝食付き。格安です。
暖かいシャワーは出ましたが、広々としたドミトリー部屋は私一人で暖房無し。余計に寒く感じます。モロッコに来てから寒い場所ばかりにいて風邪を引きそうだったので、その夜の内に宿探し。電話して暖房がある宿を見つけました。
 
次の日の朝、ドミトリー宿に別れを告げ、昨夜調べた宿に向かいます。
この宿はmarmarホテル。暖房付きの部屋をお願いしました。少し値切り一泊205から190ディルハムになりました。部屋は清潔、広々したシャワールーム、エアコン付きで言うことありません。ここなら一息つけそうです。
 
せっかくワルザザートに来たので、アイットベンハドゥの集落に行く事にします。宿で聞いたところだと、バスは無いので大型タクシーで皆んなで割り勘で行った方が良いとの事ですが、あいにく一人。近くにいる他のツーリストに声をかける勇気もありません。
タクシーの運ちゃんに値段を聴くと往復150ディルハム。ここで値段交渉すれば結果的に楽に安く行けたのですが、持ち前の貧乏性で近くまでバスで移動、そこからタクシーを使って移動しました。トータルで115ディルハム
 
アイットベンハドゥ前に行くと、一人の外国人の若者に声掛けられました。ワルザザートに帰りたいが、ユーロしか金がない。助けてくれとのこと。私は二時間後にタクシーが来る約束したから、その時なら乗せてあげられると言い、後で合流する事にします。
 
アイットベンハドゥは丘の上に作られた小さな町でした。町中はみなお土産屋さんになっていました。家々を縫うようにして階段があり、頂上に着きます。
上には小さな小屋があり、周りの風景が一望できます。
 

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この辺りは小さなオアシスらしく川もあり、また色とりどりの地層が広がっています。
その先には赤い丘が横に広がり、そのさらに奥に雪山が見えます。アトラス山脈でしょう。
 

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集落の写真を見ようと思い、いったん集落を出て川沿いに移動。
 

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アイットベンハドゥの観光も終わり、先ほど出会った若者を待ちますが、
見当たりません。しばらく待ちましたが結局来ず。
2時間も待っていれば別の手段を見つけたのだろうと思い、タクシーでワルザザート
戻りました。
 
帰り道タクシーの運ちゃんにメルズーガに行くためのバスチケットを取ることを伝えると、
スプラトゥースというところで買えると教えてもらったのでそこまで送ってもらい、
バスチケットを確保します。155ディルハム、荷物代で5ディルハム
 
次の日はワルザザートにある映画撮影スタジオに行ってみました。
この町ではタクシーで何度もぼったくりにあっているので嫌気が差し、徒歩1時間かけて移動。
 

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このスタジオでは映画のグラディエーター等の撮影に使われたようです。
中に入ってみると何だか様子が変。施設のあちこちに資材が置かれています。
入口で中に入りたい旨を伝えると、自由に見て良いよとの事。
中に入ってみるとほとんどの建物が工事中で、鑑賞できるような状態ではありませんでした。
ある意味舞台裏を見ることが出来たかと思い納得することにします。
 

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この施設はホテルも併設しており、プールまでありました。
ブルジョアの雰囲気に浸りたくてプールサイドでゆったりしました
 

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その後は、近くのバス停からローカルバスに乗って町に戻ります。町の繁華街で夕食を食べ、スーパーマーケットでビールとつまみを買って帰ります。
 
今回はこの辺で。ではでは。