2018年 世界一周旅行 in ペルー その1 クスコ

ご覧頂きありがとうございます、ヒロです。
 
南米、ペルーはクスコにやって来ました。クスコはぐるりと周りを山に囲まれた高地にある町です。私が宿泊した地域のアルマス広場周辺は石段、装飾の凝った建物、広場、そして噴水という、ヨーロッパらしい雰囲気を醸し出しています。周辺には数多くのレストラン、そして多くのツアーのお店が見られます。ペルーの民族衣装を着たおばさんが赤ちゃんアルパカを連れている姿を見かけます。
 

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そして大きな野良犬も至るところで見かけます。しかし一様にノンビリした様子で、町の人達に世話をして貰っているようです。
 

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この町は標高が3400mもあり、高山病が辛いところいう話をよく聞きます。飛行機から降りると早速調子を崩したのか、嘔吐する人を見かけました。3月のペルーは日中、少し汗ばむぐらいの気候でした。
 
今回の航路は、フランス、パリのシャルルドゴール空港から、スペイン、マドリード空港を経由、ペルーのリマ空港で乗り換え、クスコ空港というルートになります。マドリードからリマまで12時間、トータル24時間近くと久々の長時間移動になりました。そういう訳で、体調を崩しかけたパリでは無理する事が出来なかったのです。移動自体は特に問題はありませんでした。しいて言うなら、リマ行きの飛行機の後ろの座席で子供が暴れていた事ぐらい。リマ空港に着くと、ザルに入った葉っぱを無料だと言って勧められました。これは何かと尋ねるとコカの葉だとの事。コカは麻薬のコカインの材料で、扱いを禁止する国がほとんどですが、かの国ではコカの葉は嗜好品として国民の間で広く使われており、葉っぱをそのまま口に入れ噛むか、コカ茶として飲むそう。このコカ茶ですが、クスコの宿で頭が痛いと言っていたら、コカ茶を振舞われました。正直あまり美味しくなかったのですが、飲んだら痛みが和らいでいることに気づきました。これがコカ茶の効果のようです。
 
さて空港に着いたものの、シャトルバスらしきものも駅も見当たりません。どうやら移動手段はタクシーを使うしかなさそう。空港内のタクシー案内に聞くと、45ヌエボソル(約1500円)。確かに壁に書かれた料金表ではその額になっています。絶対ぼったくり価格だと思いながらも、タクシーしか方法がなさそうなので50ヌエボソル紙幣を渡すと、お釣り5ソルはチップ分だとのたまいます。「5ソルなんてソーダ一杯分だ、安いもんだろ? 」「三杯分だ!」と言い返します。案内のおっさんは口笛吹きながらすぐ横のタクシー乗り場に居るドライバーに30ソルを手渡していました。つまりたったこれだけでおっさんは20ソル儲けた訳です。しかも、後で宿に相場を聞くと空港宿間のタクシー料金は15ソル程度だったそうです。やはりぼられました。
 
今回宿泊したのは、Qorikillaという宿です。一泊3000円を切るぐらい。もっと安いドミトリーもあったのですが、ヨーロッパの高い宿代で感覚がおかしくなっていた事、そしてこの宿からの眺めはとても良いという情報があったためここに決めました。確かにこの宿の屋上からの眺めは良く、クスコの町並みが一望出来ました。雨上がりの後は町に虹がかかる様子なども伺え、ノンビリ過ごすにはとても良い宿です。しかし眺めが良く町が一望出来るという事は、宿は高台にあるという事であり、宿から少し出歩くだけでもかなりの階段を登り降りしなければなりません。宿内の階段の登り降りですら辛く感じるこの空気の薄い町ではその地形に苦しめられました。宿に帰るだけで息切れしているのです。
 

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到着初日は体調の様子見をするつもりで特にツアー等は入れなかったのですが、これで正解でした。宿に荷物を置いた後、現地通貨のヌエボソルの入手の為ATMを探し、sim入手のキャリア会社の捜索、遅い昼食等の為に町中を歩き回ったのですが、段々と頭が痛くなってきました。これが高山病かと思いながら薬局に飛び込みます。アルマス広場周辺には多数の薬局がありますが、高山病の薬を求めるツーリストが多いのかもしれません。google翻訳で「頭が痛い、高山病の薬を下さい」と翻訳結果をみせると、薬を処方してくれました。10日分、確か1000円ぐらい。
 
いつもは空港でsimを手に入れるのですが、リマ空港内では異常に高い、1週間使い放題で49ドルというものしか無く、結局クスコの町を歩き待ってclaroというキャリアのsimを入手しました。sim代が15ヌエボソル、データ3Gbyteで30ヌエボソル、合計45ヌエボソル(約1500円)でした。
 
マチュピチュツアーについてですが、マチュピチュは1日2000人という人数制限があるらしく、行ったは良いけど入れないのは避けたいところです。そこで宿のフロントで相談すると、ツアー会社の人を呼んでくれました。と言うか、来てもらうと高くて断る事がしにくくなるなぁと考えていたのですが。ツアー会社の人によると、ピックアップからバス、鉄道、マチュピチュ入場料まで全て含んで245ドル。結構高いです。安くできないか交渉し、225ドルにしてもらいます。後日、町をぶらつきマチュピチュ100ドルツアーと書かれた看板を見かけたので、また吹っかけられたのかもしれません。が、後で受け取ったバス、鉄道、入場料のチケットの値段を見ると合計180ドル分ぐらいかかっていたので、割と良心的な価格だったかもしれません。
 
マチュピチュツアーの開始は早く、朝4時にピックアップの車に乗り込みました。私が最後のピックアップだったらしく、私が乗り込むとバンはそのまま出発し、ウルバンバを目指します。バンに揺られてウルバンバに到着したのは6時頃。ここから列車に乗り込みます。マチュピチュに向かう列車は二つあり、一つはペルーレイル、もう一つはインカレイル。私が乗ったのはインカレイルです。別々の列車なので乗り場が異なるのかと思いきや、どちらも同じレールの上を走ります。ペリーレイルの方が若干内装が良さそう。このウルバンバの町に着いた時に、日本人の若者に声を掛けられました。まるこさんという彼とは同じ列車のしかも隣の席だという事が分かり、マチュピチュ村までの電車の中で話をしました。大学の卒業前にアフリカ、南米を回っている途中なのだそうです。電車のサービスでちょっとしたお菓子と紅茶、コーヒーがふるまわれました。
 

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マチュピチュ駅に着いたのが9時頃マチュピチュの入場時間は午前と午後の二つに区切られているのですが、彼は午前中、私は午後だった為にここで彼とは別れました。駅でツアーガイドと合流し、午後の組は時間があるので10時半にとある地点に集合するように言われます。さっそくマチュピチュ村を散策します。普通のレストランの他に、人が出入りしている建物があり中に入ってみました。するとローカルなフードコートのような場所になっていました。レストランだと一品20から30ソルなのが、ここだと5,6ソル。その中をうろつき、ヌードルのような食べ物を他の人が食べているのを見て、自分も同じものを注文しました。ヌードルかと思いきや、魚の切り身が入ったおかゆでした。素朴な味付け、ちょっとしょっぱい。これで6ソル。やはり安い。
 

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10時半に集合場所に行くと他のツアー客も集まりだし、次はバスに乗ります。バスは急な坂を登りつづけます。道幅はそれほど狭くはないのですが、道の横にはガードレールなどは無く見ているとバスが落ちそうで怖くなります。人によってはこのバス代を浮かせるためか、徒歩でこの急な坂を登っている人を見かけます。
 
バスがマチュピチュ入口に着いたのが11時頃。マチュピチュ内にはトイレがないのでこの入口にあるトイレに行っておくように言われます。ここで30分ほど待ちます。標高が上がったのに日差しが強い為なのか暑くなってきました。寒いと思って沢山着込んできたのですが、中に来ていたウルトラライトダウンジャケット等を脱いでリュックにしまいます。そしてリュックにしまい込んでしばらく使っていなかった登山帽を被ります。
 
ツアー客は使う言語によっ、スペイン語グループと英語グループに分かれました。私は英語グループに入りましたが、どちらの言語にしても理解できません。英語グループにはドイツ人の20歳にも満たないと思われる若者、25歳前後の髭を蓄えたブルガリア人、ロシア人の夫婦、そして私という構成です。ガイドの後をついて坂を登っていくと、写真でよく見た光景が眼前に広がりました。山の上に広がるマチュピチュの遺跡です。残念ながら雲が掛かっていて青空が見えませんでしたが、霧が掛かっていなかっただけ良かったとしましょう。
 

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いわゆるマチュピチュと呼ばれる遺跡ですが、マチュピチュ山の山頂から少し下った中腹にありました。私たちが写真で良く見かけるのは遺跡より高台にある段々畑の位置からの眺めです。マチュピチュの後ろに見えるのはワイナピチュ山で、ガイドの解説ではワイナピチュ山は人の横顔に見えるとの事。言われてみると確かに顔のようにみえます。マチュピチュ全景を堪能した後は坂を下り、マチュピチュの中を歩きます。ガイドの言っていることで多少理解できたのは、ここは昔の神殿跡だとか。遺跡の中でリャマらしき動物が草を食んでいます。
 

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私はマチュピチュの建物に屋根が無いのは風化して石が崩れ落ちたためだと思っていたのですが、奥に進んでいくと茅葺屋根の建物がありました。材料は茅では無いと思いますが。建物の壁は石造りなのですが、壁の上の部分に木材の骨組みが組まれ、この上に茅のような植物が積まれ屋根になっています。そうです、日本の昔の民家のようなあの屋根です。あれ?ひょっとしてと思い、ガイドに話を聞くと他の建物も元は全て茅葺屋根だそうです。という事は昔のマチュピチュの光景は白川郷のような眺めだったのかもしれません。
 

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マチュピチュを一周しガイドの案内も終わった後、ブルガリア人はもっと天候が良くなるまで待つと言って、再度入口を登っていきましたが私は十分満喫したので下りのバスに乗り込みました。マチュピチュを降り、マチュピチュ村に戻ったのは2時半ごろ。帰りの電車の時間は6時半。かなり時間が余ってしまいました。マチュピチュ村を散策しましたが、村自他はそれほど大きくなく、駅前に広がるお土産物屋街の他にはレストラン街、そして居住地があるだけで、お土産なども特に興味のない自分としてはあまり見て回る場所はありません。村の中心を流れるウルバンバ川の橋の上から村を眺めていると、日本のどこかの温泉地にいるような気分になり、どこかに湯気が上がっていないか探してしまいます。
 

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歩き疲れたので川沿いにあるレストランでコーヒー一杯で数時間粘ります。さすがにこれだけだと申し訳ないと思い、スパゲッティとレモネードを追加。合計50ソル以上しました。観光地価格です。
 
夕方になりようやく電車の乗車時間になりました。今度の席に同席したのはアメリカ人の女の子二人と、欧米人の若者。この三人はかなり話が盛り上がっており大声で騒いでいます。どうやら彼らはお互いの旅行について話しているらしく、どちらも2,3か月の長期旅行をしている模様。ただ英語を解さない自分としてはただうるさいだけ。とっとと寝たふりをします。途中女の子達にどこから来たの?と尋ねられますが、そっけなく「日本」とだけ答えてまた黙ります。何だかどんどん英語コンプレックスが酷くなっています。
 
列車がウルバンバ村に着いたのが夜9時過ぎ。列車を降りて通りに出ると、名前が書かれた紙を持っている人達が大勢います。どうやらピックアップの待ち人らしく、私もこれらの人混みの中から自分の名前が書かれた紙を持った人を無事に発見。人数が揃ったところで車に乗り込みます。車が発車するのを待っていると、子供二人が車に乗ってきて何かを歌いだしました。歌い終わるとチップを要求。子供たちの前に居た老婦人がチップを渡していました。この頃になると雨が本格的に降り出し強い雨の中を車は走ります。
 
クスコに着いたのは23時頃。帰りはホテル前に送ってくれることは無くアルマス広場で全員降ろされました。私の宿は坂の上にあり少し離れているのでこれは少し辛い。宿に着くころには結構濡れていましたが、そんな事を気にすることも無く服を脱いでベッドに潜り込んだら朝までぐっすり眠りこけました。
 
クスコでもう一つある観光地、レインボーマウンテンにも行ってきました。現地ツアーの看板ではレインボーマウンテンやらカラフルマウンテンという名前で書かれています。この山はここ最近有名になってきたらしく、まだあまり広くは知られていないようです。またまたホテルのカウンターでレインボーマウンテンに行きたいと伝えると、電話で予約をしてくれました。100ソルを100ドルと聞き間違え焦りましたが、最終的には85ソルに値切りました。マチュピチュツアーより一桁安いといった感じでかなりお得です。しかしこのツアーがこれほど過酷だとは思いませんでした。
 
今回の出発時間も4時頃、ピックアップの車がやってきました。私以外の客も拾っていき、クスコを出たのが5時頃、ここからバスは南下しピトゥマルカ村にあるレストランに着きました。この時朝の7時ごろ。朝食はビュッフェスタイルでそれなりに美味しかったのですが、登山途中でお腹具合が心配だったので腹八分目ならぬ六分目ぐらいで押さえておきました。が、こんなにへとへとになるならもう少し食べておけば良かったと後で後悔しました。
 
朝食後、車は再度山道を走りだしました。ここからの道はかなり荒れており、しかも勾配、カーブがきつい道でした。ダート状のいろは坂といった道を車は走り続けます。この時点で肉体的につらい状況です。しかもこの道もガードレールはありません。落ちそうで見ているだけで怖くなります。
 
一緒に同行してくれるガイドの話によると、登山スタート地点の標高が既に4000m、そこから歩き続け、頂上まで到達するとそこは標高5100m、ここを2時間かけて登るとの事。この話を聞いた時点で嫌な予感しかしません。しかしペースの早い人だと40分程度で登ってしまうそうです。
 
一時間以上掛けてようやく車は登山口に到着しました。そしてガイドから緑地に黄色のラインの入ったベストを渡されました。胸元にECO Groupの文字が縫いつけられています。私たちのグループ名はECO Groupのようです。周りのツアー客も同様のベストを着ていました。いよいよ登山開始です。入口付近には可愛らしいカラフルな衣装を着た多くの地元民がおり、馬を連れています。どうやらお金を払えば馬に乗せてくれるようです。実は私たちのツアー客の中にはお年寄りと小さな子供を连れた家族がおり、どうするつもりなのかと思っていたのですが、スタート地点から馬に乗って先に行ってしまいました。見ると意外と多くの人が馬に乗っています。
 

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登山口から一キロほど歩くと、チケットを確認する場所があります。その手前で自チームのガイドとグループメンバーが一旦集結、ガイドからチケットを受け取って、再度出発します。ペースが早い人達と乗馬組はズンズン進んでしまい、私と距離を離していきました。そこからの道はほぼ登り坂、平坦な道もぬかるんでいたり歩きにくい。しかし馬と馬を連れた地元民は坂道をかなりのペースで登って行きます。空気が薄い中、急な登り坂は辛すぎます。そこで事前にスーパーマーケットで購入しておいたコカ入りのキャンディを舐めながらひたすら歩きました。進むにつれだんだんと景色が変わってきました。周りの山や地面の色が赤や紫、水色とカラフルになってきます。
 

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頂上がようやく見えてきました。最後の坂道は急な登り坂。坂の手前で馬に乗って先に行っていた家族連れが座り込んでおり、子供の背中をさすっていました。子供が高山病でダウンしてしまったようです。手持ちのコカキャンディを家族連れにあげ、私は最後の坂を登ります。そしてようやく頂上付近に到着。写真でよく見たカラフルな山肌が見えました。
 

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時間は登り始めてから丁度2時間経過。時間を目一杯使ってしまいました。実は坂を登ってもまだ先があり、頂上まではまだ少し登る必要があります。元気のある人たちはそこから更に山の頂上を目指して登っていましたが、私はそこまでの元気は無く、少し登ったところで断念。しばらく周りの景色を眺めてから、今度は下山します。帰りは下り坂だけとはいえ、すべての体力を使い果たした私はよろよろと道を歩いていきました。若い元気な人達に次々と追い抜かれて行きます。そのうち目の前が何だか真っ青になってきました。目までおかしくなってくるとはかなりやばい状態です。登山口に戻ったのは一時間半後。ヨタヨタと車のところまで戻り、座席に座るともう動けません。しばらくすると他の人たちも戻ってきて車は出発。また荒れた道を右に左に走ります。朝食を食べたレストランに戻り、遅い昼食を取ります。疲れすぎてあまり食欲はありませんでしたが、コカティーを飲みながら何とか食事をとります。そして再度車に乗り込み、2時間後にクスコに戻ってきました。アルマス広場で解散、ヨタヨタと坂を登って宿に着くとそれ以上体が動きませんでした。
 
今回はこの辺で。ではでは~。