2018年 世界一周旅行 in スペイン その1 セビリア

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
スペイン、セビリアにやってきました。セビリアは昔の街並みを残した美しい街で、巨大なセビリア大聖堂が有名です。ロココ調に装飾された建物が立ち並び、街頭までロココ調です。石畳みの上を路面電車と流線型に装飾が施された馬車が町を走ります。観光客を乗せた馬車がカポカポと音を立てて石畳みを歩き回るお洒落な町でした。屋外のテラス席では、観光客なのか地元民なのか昼間からビールを飲んでゆったりと過ごしています。
 

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私が昔ハマりまくった光栄の大航海時代というゲームがあるのですが、オスマントルコイスパニアといった国名と共に、セビリアという地名をよく覚えています。ゲームではイスパニア(スペイン)は強大な力を持っている国で、フランスやイギリス等と覇権を競っており、陸のシルクロードの経由地であるオスマン帝国をどうやって抑え、東に勢力拡大する事が出来るかという時代背景の中でストーリーが進んでいくのでした。そんな訳でセビリアは一度訪れてみたい場所でした。
 
今回の移動はなかなか大変でした。バス、タクシー、フェリーと乗り継ぎ、スペインに入国、最後に再びバスに乗ってセビリアへ。移動時間は15時間程かかりました。しかも旅行経路はあまり調べておらず、行き当たりバッタリ。だんだんと行動が適度になってきました。
 
まず朝五時に起床、シャウエンの宿からバスターミナルまで移動します。今回利用したのは民営のバスで、値段も安いがバス自体はボロく座席も汚れていました。6:45発でしたが、7時過ぎに出発します。途中テトゥアンの町に到着、乗客が入れ替わります。そこから走り出してすぐにバスが止まりました。どうやらタイヤトラブルが発生したらしく、何人かタイヤの周りで作業していました。三十分ほどかけて終了したのか、バスは再び走り出しましたが、明らかに振動が酷く、乗り心地が悪くなりました。修理は完全ではなかったようです。そのまま1時間程走り続けたバスは、何もない路地で停車。前には別のバスが止まっており、そちらのバスに乗り換えるように要求されました。その後しばらくして終点のタンジェという町に10時半ごろ到着。
 
この町ではスペイン行きのフェリーは二つあり、一つはタンジェ新港(tanger med)からはジブラルタルへ、もう一つはタンジェ旧港からはタリファに向かいます。ジブラルタルの方が町の規模が大きく、その後の移動が楽だろうと予想を立て、タンジェ新港を目指します。
 
バスから降りるとそこはバスターミナルになっていました。建物に入ると沢山のバス会社のカウンターがあり、一つ一つの看板を確認していくと見つかりました、タンジェ新港行きが。しかし出発時間が12:30から。あと2時間もあります。どうしようか思案していると、カウンターの中にいたおじいちゃんが手招きしています。タンジェ新港に行きたい事を伝えると、タクシーを他の人とシェアしていく方法を勧められましたが、そんな事は出来ない自分。普通にタクシー乗り場で値段を聞くと200ディルハム。これぐらいなら良いかと思い、タクシーに乗りこみました。金の力で強引に解決です。タクシーはなだらかな海沿いの道を走ります。この道は道幅も広く眺めも良いため、バイクで走ると気持ち良さそう。
 
タクシーで40分程走ると、タンジェ新港に到着しました。ネット情報では複数のフェリー会社があり、好きな時間と値段のフェリーを選べるとの事でしたが、建物内のカウンターを見ると開いている会社はわずか数社。選択の余地はなく、一番近い時間の12時発、340ディルハムのチケットを購入します。
 

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チケットを片手に歩き始めると、小ざっぱりとしたジャケットを着たおじいちゃんに声を掛けられ、こっちだと案内されます。おじいちゃんはベンチに座り、パスポートを要求し色々と質問してきます、そして出国手続きの用紙に書き込んでいきます。始めは港の関係者かと思い、付いて行きましたが無関係の人のような気がします。案の定、出国カウンター前まで来るとチップを要求されました。まあ出国用紙を代わりに書いてくれたので良しとしましょう。ポケットの中にあった小銭全てをおじいちゃんに渡します。彼は札を要求しましたが、しぶしぶといった様子でお金を受け取り去っていきます。流石モロッコといったところ。最後まで油断出来ない国です。
 
次に出国手続きカウンターで係員にパスポートを渡しますが何故か手続きに時間がかかっています。どうやらモロッコ入国時に係員がパスポートに書いた数字が下手すぎて読めず、パソコンの記録と一致しないようです。でもこれは私のせいではありません。他の旅行者が次々と手続きが終わる中、待たされますが何とか手続きは終わりました。船の待合室に行くと若い日本人夫婦がおり、少し会話を交わします。醤油煎餅を頂きました。久しぶりの日本の味に癒されます。
 

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12時になりフェリーに乗り込みます。乗船後、船内を歩くと食堂を発見。ちょうど出来立ての料理が運ばれてきました。料理はパエリア、肉の煮込み等6種類ほど。どれも美味しそうです。他の客の様子を見ていると、お皿に好きな料理を盛ってもらい、一皿いくらというシステムのようです。見ているうちにお腹も減ってきたので私も注文します。選んだのはパエリアとタラのスープ煮込み、エンドウ豆を炒めたものなど。さらに上にポテトまで載せてくれて、こんなに食べられないと思いつつ食べ始めましたが、料理はとても美味しくあっという間に完食してしまいました。こんなに美味しいと思った料理は久しぶりです。
 

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料理を食べ終わりましたがまだ出航していません。さらにしばらく船内をうろつき待ちます。13時ごろようやく出航。フェリーはゆっくりとジブラルタル海峡を抜けていきます。近くに他のフェリーなども見られます。
 

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客席でゆったりと海を眺めてうとうとした頃にスペイン、ジブラルタルに到着しました。フェリーから降り入国カウンターに向かいます。ここでは特に問題なく手続きは終了。やはりEU圏内は手続きが楽で良いです。
ここから先の航路は全く情報を仕入れていませんでした。スペインのsimも持ってないのでネット情報も使えません。情報は全て現地収集です。出国カウンターから出たところに旅行会社らしきブースがありましたが、中には誰もおらず訪ねる事も出来ません。ダメもとで乗船券カウンターのお姉さんに話を聞いてみます。セビリアにバスで行きたいのだがどこにバスターミナルがあるのか尋ねると、港を出て少し歩いたところにあると教えてくれました。Googleマップを使って詳しい場所を教えてもらいました。港の施設を出て外を歩きだすと何だか町がひっそりしていることに気付きます。そういえば今日は日曜日でした。ヨーロッパでは日曜日には店はみな閉まってしまいます。googleマップを頼りに5分ほど歩くと、バスが停まっているターミナルを無事発見しました。
 

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チケットカウンターでセビリア行きのバスを尋ねると、17:30発、セビリア20:30到着との事。当初の予定ではアルヘシラスの町で一泊し、セビリア行きのバスをゆっくり調べて移動しようと思っていました。しかし、今日中に到着できるのであればそれでも良いかと思い、バスチケットを購入しました。まだまだ明るい日の光が私にそう決断させます。
 
バスは時間通りに出発。なだらかな牧草地が続きます。途中に風力発電の風車が沢山ある地域を通ります。牧草地の風景がモロッコと似ていると始めは思いましたがやはり違いました。それはスペインの光景には岩がない事。モロッコの山村地帯も美しい事は美しいのですが、大小の岩があちこちに転がり美観を損ねているのです。後は所々に見られる散らかったゴミも。
 

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バスは八時半にセビリアに到着しました。辺りは既に夜の闇に覆われていました。バスを降り歩き出すと、歩道に植えてある街路樹の根元に沢山のオレンジの実がやたらと転がっている事に気付きます。どんだけこの国の人たちは街中でオレンジを食べ歩いているんだとその時はおもいましたが、それは誤解だという事に後日気づきます。街路樹自体がオレンジの木で、枝にたわわにオレンジが生っていたのです。
 
程なくしてホテルのネオンを発見。Hotel Alcázar という名前です。普段馴染みのないお洒落で綺麗な室内に入りカウンターに向かいます。値段を聞くとなんと一泊65ユーロ、約9000円。今回の旅行での最高宿泊費を圧倒的に更新しました。安くしてもらえないか相談しましたがやはり無理でした。宿のWi-Fiに繋いで真っ先に行ったのは、周辺のもっと安い宿を探す事でした。調べ物も終わり、遅い夕食を取ろうと外出、ホテルの並びにあった小さなレストランに入りました。メニューを見ましたが、スペイン語で書いてあるのでさっぱり分かりません。適度にメニューの一番上に書かれているものとビールを注文すると、出てきたのは薄く切られたハムが皿に盛られたもの。完全におつまみでした。
 
高かった宿を出て、次の宿TOC hostel sevillaに移動します。この宿は一泊22ユーロ程。ドミトリーなのに安くはありませんが、部屋、シャワー室、トイレも全て綺麗でした。日本のカプセルホテルのような雰囲気だと言えば伝わるでしょうか。しばらく前から喉の調子が悪かったため、ゆっくり休むためにも設備の良さそうなこの場所を選びました。
 
セビリアの次は、ポルトガルリスボンにバスで向かう事を考えていました。そこでホテルの人に尋ねると、Pra de armasというバスターミナルを教えてもらいました。宿に荷物を預けターミナルを目指し歩くとvodafoneのお店を見つけました。値段を聞くと、普段は1.5Gbyteで10ユーロだが、プロモーション中で4.5G使えるとの事だったので申し込みました。やっと自由にネットに繋げる状態になりました。
 
バスターミナルに到着し、インフォメーションカウンターで案内されたバスカウンターで、リスボン行きのチケットを購入します。バス会社はeuroline。これでようやく落ち着いて観光が出来ます。
 
まず最初に向かったのは闘牛場。リスボン闘牛場という名のそれはグアダルギヒル川の近くにあります。黄色と赤に彩られたその建物に入ると牛の頭の剥製が飾られていました。入場料を払い、中に入るとそこで待つように言われます。時間になるとガイドが現れ案内してくれました。日本語対応した音声ガイドが無料で配られたので、それを持って場内を見学します。闘牛の歴史について語るガイドを聴きながら闘牛にまつわる絵画、ブロンズ像、闘牛士の衣装を見て回ります。最後に闘牛場の広場。円形状のスタジアムは直径50m程でしょうか。周りを座席がぐるりと取り囲んでいます。この中で今も昔と変わらず牛と闘牛士の一騎打ちが行われているのでしょう。
 

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次はオロタワー、多角形のその塔も川沿いにあります。それほど高さもないその塔の中に入ると大航海時代を彷彿とさせる昔の海図、計測器、そして船の模型が飾られています。
 

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スペイン広場。公園の中心に半円形の広場があり、中心に噴水が。その周りを取り囲むような形で水路、そして美麗な建物が建っています。水路にはボート乗り場があり、中国人家族がボートで橋の下をくぐり写真を撮りまくっています。建物には非常に多くのタイル貼り付けられており、天井まで埋めつくされています。この建物は博物館として利用されています。観光客も昼下がりの中、公園でゆったりと過ごしています。
 

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そしてセビリア大聖堂。この建物はその大きさ、外見だけでも圧倒されます。外部の装飾も見事です。石造りのせいなのか、中はとてもヒンヤリしています。大聖堂の中は天井まで何十メートルあるのかわからない程の大広間。そして壁面には絵画や彫刻が施されています。それら装飾にはみな金が施されており、当時のスペインの国力が偲ばれます。作品を見ていくとイタリアの教会とは若干違ったその作風に気づきます。躍動感あるイタリアの作品とは違い、細部まで作りこまれた装飾がその特徴の一つかと思われます。微に入り細にわたるとはこの事でしょうか。あまりに細かく作りこまれたそれらは目眩がしそうです。
 

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アルカサルはスペイン宮殿跡で、壮麗な建物と綺麗に手入れされた庭がありました。やはり建物内外には多数のタイルが貼り付けられています。
 

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こんな感じでざっと観光地を回った後は、噴水の横で日向ぼっこして過ごしました。
フラメンコを見忘れていることに気付いたのはセビリアを去る直前の事でした。
 
今回はこの辺で、ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in モロッコ その5 シャウエン

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
フェズからシャウエンに移動しました。シャウエンは青く塗られた青い街並みが有名な場所で、日本人に大人気だそうです。
 
またまたバスで移動、今回の移動時間は4時間。なだらかな丘陵地帯を走ります。オリーブの木やオレンジの木が沢山生えており、モロッコの北部は肥沃な農場地帯でした。
 
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シャウエンに到着したのは三時頃。今回の宿は予約していました。距離はそれ程離れていないと思い、タクシードライバーの呼び込みを抜け歩き始めたところ目の前に急勾配の登り坂がありました。
タクシーに乗ろうと思い、後ろを振り返りましたが既にタクシーは一台もいません。諦めて重い荷物を抱えて坂を登ります。汗だくになって宿の近くに来たところ、目の前に石壁の門が現れました。どうやら予約した宿はまたメディナの中のようです。booking.comのルート案内も入り口で終わっており、宿の場所が分かりません。
すると門の前に座っているおっさんが声をかけてきました。宿のスタッフかと聞くとそうだと
答えます。彼は私の荷物を掴むと門を潜り抜け、メディナに入りました。
街の中を彼はずいぶんと歩き回ります。「宿は随分遠い場所にあるんだなぁ」と思いながら
後ろをついていきます。5分ほど歩きようやく宿に到着。すると彼はチップを要求してきました。
やはり彼は宿と無関係だったようです。荷物を運んでもらったこともあり仕方なく少しだけ
お金を払いました。後で気付きましたが、実は宿は門を入ってすぐのところにあり、右に曲がれば良いところを、彼は左に曲がり遠回りしていたのでした。しかしモロッコという国では、こういう輩が沢山居る辺りがアジアを連想させます。
 
今回泊まった宿はabi khanchaという宿で、内装が青く塗られてお洒落な感じがします。設備はほどほど。個室でしたがトイレとシャワー室は共有スペースです。ただし元がメディナですので基本的に作りが古いです。宿のスタッフの赤ひげの青年がとても気さくで色々と世話をしてくれました。
 

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私が到着した日は、偶然にもこの小さな宿に多くの日本人が泊っていました。私と同じような一人旅行者が数名、旅行中の夫婦が一組。久しぶりの日本人にほっとします。その旦那さん曰く、このメディナの中にハマムがあるのを発見したとの事。ハマムとはモロッコ式サウナだそうで、そんなものがあるなら行ってみたいという事で連れて行ってもらいました。宿の横の店であかすりと、見た目はビニール袋に入った味噌のような柔らかな石鹸を購入。それを持って皆でハマムに向かいます。途中で他の宿に泊まっていたという日本人二人も合流し、10人ほどの日本人でハマムに入りました。石作りの建物の入り口を入り、階段を降りるとカウンターと脱衣所兼、涼み場のスペースがありました。銭湯というよりも遺跡の中にいるようです。この場で服を脱ぎ、カウンターに荷物を預けます。素っ裸で入るのはダメという事でパンツ一丁になって階段を降り浴場に向かいます。浴場の中は薄暗く、蒸し暑い石造りの部屋になっており、床の上に皆寝転んでいます。床下に温水が通っているのか、床石が暖かくなっています。壁際に区切られたスペースがあり、ここが洗い場でしょうか。ここで働いているらしき子供達やお年寄りがお湯の入った桶を浴場に運んできます。この桶のお湯を浴びて身体を洗っています。垢すりをしてくれる人がいましたが、この人数では順番が来るのは望めませんでした。この浴場の使い方ですが、まずお湯を浴びて、石鹸を身体に塗りつけ、この状態で床に五分間寝転びます。その後垢の浮いた身体を垢すりで擦り、お湯を浴びて終了のようです。旅行中はシャワーばかりで身体を綺麗に洗えていないような気がしていましたが、しばらく前から気になっていた踵の角質までスッキリ落とす事が出来ました。
 
次の日はこの青い町を見るべく、歩き回ります。町の建物は全て淡い青色で塗られています。まるで水族館の中のようですが、建物や町並みはメディナそのものです。
 

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丘の上にあるモスクから町が一望出来るとの情報を得て、モスクを目指します。途中渓流の横を歩きます。山から湧き出たばかりなのでしょう。水が透明な川を見るのは本当に久しぶりです。
 

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丘を歩き続けると、桜や梅の木が生えており、花を咲かせていました。その横にサボテンが生えているのがモロッコらしいです。
 

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三十分ほど歩き丘のモスクに到着。モスク自体はとても小さなものです。丘の上では地元の子供達がサッカーをしていました。たまにまとを外れたボールが坂を転げ落ちそうになり、慌てた子供が必死に追いかけます。
 

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モスク横の小さな広場からは町が一望できます。本当に町が全て青く塗られている事が確認できます。ここからでも町の雑踏が聞こえてきます。しばらくするとイスラム教のアザーンが流れ、町中に響き渡りました。
 

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今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in モロッコ その4 フェズ

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
フェズにやってきました。この町はメディナと呼ばれる市場が有名で、ここは迷路のように入り組んでいて観光客を迷わせるようです。
 
メルズーガからバスでの移動になります。スプラトゥースバスに乗って約八時間、深夜三時頃にフェズのバス亭に到着しました。チケット買うときには朝7時に着くと言われたのに。こんな夜中に到着しても困ります。
バスターミナルの建物に入って、日が昇るのを待ちます。寒いし硬いベンチなんかで寝られないと思っていましたが、しばらくすると寝ていました。さすがどこでも寝られる特技を持つ自分です。七時頃になり、そろそろ宿に行っても良いだろうと思いタクシーで移動します。
安宿の場所は予め確認しておいたので、そこに送ってもらいました。
タクシーから降りて宿を探します。細い路地に入り曲がりくねった道を歩いていきます。道の両脇には白壁や扉が隙間無く繋がっています。ここはどんなところなんだと疑問に思いながら歩きます。非常に細い分かりにくい道に入った先に宿はありました。
riad anass al oualiという宿です。今回も予約なしの飛び込みです。小さな木製の扉に付いた金属の呼び鈴を鳴らすと、しばらくして主人と思われる黒人の男性が眠そうな目でドアを開けてくれました。
予約してないけど泊まれるか尋ねたところ、泊まれるとの事。ただ、この時間はまだ入れないので11時まで待って欲しいとの事だったので、しばらくロビーのソファーで休ませてもらいました。十時近くになり外の様子を見ようと外に出たところビックリしました。なんと静かだった町が一変、賑やかな繁華街に変貌しています。元々狭い道の両脇に、たくさんの品物が並べられています。
もしかして、これが例のメディナでしょうか。私が居た場所はフェスエルバリ地区の旧市街メディナのようです。
 

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この地区は高い城壁に囲まれた中にあり、狭い路地が入り組んだ中に非常に多くの店が立ち並びます。よく見かける色とりどりのタイル、化粧品、衣服、皮細工、絨毯、生地、砂糖菓子、家電、メガネ、木材まで扱ったお店もありました。間口二メートル程の小さなお店がひしめき合っています。
少し歩いてみようと思っただけでしたが、少し歩いただけで本当に迷ってしまいました。道の分岐点も狭く、曲がり角に気付かず何度も通り過ぎてしまいます。そんな時、地元の若いにいちゃん達は、あっちだこっちだと適当にでまかせを言ってこちらを混乱させてきました。そもそも私がどこに行きたいのか知るはずもないのに、彼らに正しい指示ができるはずがありません。無視して歩きます。後で聞いた話では、彼らの言う通りに従ってついていったところ、狭い路地に連れていかれて金を巻き上げられた日本人がいたそう。
 
なんとか見覚えのある通りに戻り、ほっとしたところ、なんとサハラツアーに一緒に行ったドイツ人女性二人とばったり遭遇、後ろをみるとクレイジークレイジーと連呼されくさったリーゼント中国人も居ます。彼女達とは少し話したかったのですが、中国人もいたので挨拶もそこそこに彼らと別れました。
 
しかしメディナを地元の人たちはどう考えているんでしょうか。狭いし迷うし歩きにくいし不便だと感じないのでしょうか。ちょっと買い物するだけでも大変です。そういえば生鮮食品を扱う店はあまり多くないので、観光客用の町ではないかと考えてしまいます。まぁこれは狭くて混んでいる場所が好きではない私個人の意見です。
 
次の日はシャウエン行きのバスチケットを確保する為、CTMバスターミナルに徒歩で向かいます。徒歩一時間ほどかかりました。バスターミナルのあるエリアは比較的近代化された町で、ショッピングモールもありました。CTMターミナルに行き、チケットを確認します。次の日のシャウエン行きのバスは、早い便は既に満席で乗れるのは11時半からしかないとの事でそれを購入。
 
帰り道にショッピングモールで買い物、果物や酒、酒のつまみを買って帰ります。お酒を飲むのは久しぶりです。お酒は生鮮食品があるスーパーマーケット内ではなく、横にある酒屋で売っていました。イスラム圏でも場所によってはお酒も売っているのですね。
 

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ショッピングモール正面からちょうどメディナが見えました。ここからだと丘の斜面に町がある事が良く分かります。
 

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途中小さなメディナの中を通り、宿のある大きなメディナに戻ります。何度も通っているはずなのに、宿の前の小道が分からず何度も通り過ぎてしまいました。この場所は本当に迷います。やはりメディナはあまり好きではありません。
 
今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in モロッコ その3 メルズーガ

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
サハラ砂漠を見るためメルズーガにやってきました。こんなにひとつの国をあちこち移動したのは初めてです。メルズーカはアルジェリア国境近く、モロッコの東外れにあります。
 
ワルザザートからメルズーガまではスプラトゥースバスで移動しました。
8時間の道中となります。
出発時間は13時、建物の中でバスを待っていると、カウンターのお兄さんに声かけられました。
「宿は予約しているの?」「いや、してない」
「砂漠のツアーに予約しているの?」「いや、してない」
「それじゃ俺がナイスプランを提供してしてやる」
彼の話ではメルズーカに到着後、ホテルに一泊、そのあとサハラ砂漠ツアーで一泊、食事付きでどうだとの事。少し考え彼にお願いする事にしました。値段は800ディルハムで、600にまけてくれと伝えると、「ウェイトワンミニット」と言ってどこかに行きます。しばらくし戻ってくるとそれで良いと言ってきました。交渉しにいってたようです。彼にお金を渡すと100ディルハムだけ受け取り、残りは現地で払ってくれと言います。
 
出発時間になりバスは出発します。アトラス山脈を横目にバスはひた走ります。山脈はかなり近くに感じるのですが、実際には50kmほど離れています。山脈が高い事と空気が澄んでいて距離を感じさせないのでしょうか。山脈とバスの間に何もない事も拍車を掛けます。
 

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走り続けるとアトラス山脈が見えなくなり、赤茶けた山、石と小さな灌木だけの荒れた大地になります。雪山が見えなくなるだけで、一気に退屈な景色に感じます。せいぜい、火星地表はこんな感じなのかと妄想するぐらい。
 
いくつもの町を通り過ぎ、日は落ち辺りは真っ暗闇になりました。一体幾つの町を通り過ぎたのか分からなくなりました。お尻が痛くてたまりません。
夜9時にようやくメルズーカに到着しました。バスを降りると人混みに囲まれました。迎えの人かと思いきや、宿の客引きのようです。既に予約していると言っても引き下がりません。宿に電話して迎えに来てもらおうかと考えたのですが、その間もしつこく話しかけてきて電話もしにくい状況です。宿まで近かったので歩いて向かうことにしますが、客引きまでついてきました。
特にしつこかったのはおじいちゃんの客引き、カタコトの日本語で「チョットマテクダサーイ」を繰り返し、別の宿やツアーを勧めてきます。そのうち、私の宿がもう閉まってるとか言い出し、
私はブチ切れます。「嘘つくな!いい加減にしてくれ!あっちいってくれ!」無視して歩き続けるとやっと諦めてくれました。
 
果たして宿は開いてました。Le petit princeという宿で、入り口にあるイラストから星の王子さまという意味のようです。この宿の主人ザイドはニコリともしませんが、彼からはとても
心遣いを感じられました。
この宿はコの字型をした建物で、中央に小さな庭がありテーブルと椅子が置かれています。
待ち時間はこのスペースで気持ちいいひと時を過ごさせてもらいました。
 

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宿に到着後シャワーを浴び就寝。次の日はツアー開始時の三時まで町をうろつきますが、本当に小さな町であまり見るところはありません。
 
時間になると、他のツアー客が集まりました。年配の家族三人、リーゼントの中国人、ドイツ人の女性二人、そして私。ラクダに乗ってサハラ砂漠に入ります。ラクダの背中は結構揺れ乗り心地は良くありませんが、文句を言うと乗せてくれているラクダに申し訳ない。でもお尻と股関節は悲鳴をあげました。
 
砂漠の景色は素晴らしいものでした。大小様々な砂の丘が広がり、表面には風が波模様を刻んでいます。陽光の中オレンジ色の砂と空の青さの対比が際立っています。
 
町から五キロ程入ったところにテントがありました。そこからは皆で手近な砂丘に登り、砂漠を堪能します。砂に触れてみるとキメが細かいパウダー状。手触りが良くずっと触っていたくなります。
 

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日が暮れ皆でテントに戻ると料理が運ばれてきました。パンと煮込んだご飯と野菜のタジン鍋。レストランで食べたものより美味しかったです。
 
食事の時は家族連れと中国人ドイツ人グループで別れて話しをしていました。
私は英語がさっぱりなので会話に入りませんでしたが、途中中国人に英語で話し掛けられました。適当な英語で旅行を続けていると伝えます。いつのまにか横の家族もこちらの話しを聞いていて落ち着かない気分になります。
根掘り葉掘り旅行の話を聞いていた中国人が言いました。
「クレイジーだ。英語も話せないのに海外旅行なんて。しかも仕事辞めてまで何でそんな事するんだ。何で?」
彼の言葉にカチンときましたが、情けない事に英語で言い返せません。「言われなくてそんな事自分自身分かってるつーの」と思いつつも、痛いところをついてきました。
彼は本気で理解出来ないといった様子で私の回答を聞きたがって、何で何でと繰り返します。
 
ストレートな彼の言い分に驚きつつも若い中国人はこんな感じなのかとも考えますが、彼は昔の中国と日本との戦争とか色々話していたので、反日的な感情もあったのかもしれません。真偽は分かりませんが。
 
私は回答を考えてみます。昔から世界旅行やってみたかったとか、英語できるようになってから出発するなんて事したら爺さんになってるとか、持病の問題でタイミングは今しかないとか色々考えましたが、多分何を言ったとしても彼は納得出来ないでしょう。そもそも英語で説明出来ません。いつも英語での会話で参加出来ない時、自分が酷く間抜けになったように感じます。
 
アーとかウーとか言っている私に辞書を使えと言ってきましたが、めんどくさくなって説明出来ないとだけ伝えます。が彼は話をやめません。
だんだんと場が変な雰囲気になり、同席していたドイツ人女性も気まずそうですが、彼は延々とこの話をしたがります。
「‥だって考えてもみろよ。仕事やめたら今までのキャリアがパーだぜ。つぎの仕事探すのだって大変だ。異業種に行ったらまたビギナーからやり直しだ。同じ業種でもまた一からやり直さなきゃならない。仕事辞めるまでこんな事するなんて馬鹿げてる。なあどう思う?」
問いかけられたドイツ女性はめんどくさくなったのか「知らない」とばっさり切って話は終わりました。
 
この微妙な空気の後、テントスタッフの方々が太鼓でモロッコ音楽を聴かせてくれました。が、モヤモヤした気分は晴れません。
 
夜、外に出ると満天の星空、の一歩手前。一応天の川は見えました。写真を撮りましたが安いデジカメでは上手く写せず、途中からは星空を見る事に専念。
 
夜ベッドに潜りながら、さっきの彼の回答を考えてみますが良い答えは見つかりません。しいて言うなら、やらずに後悔するよりやって後悔する方が良い、でしょうか。この答もしっくりきません。正直な気持ちとしては「理由とかんなことどーでもいい。やりたいからやる、ただそれだけ。」確かにバカですね。。。
 
次の日は朝6時頃に起床、というか起こされます。日が昇り始めるなかラクダに再度乗って町に戻りました。宿に戻ると全身砂だらけになっていることに気付きます。顔まで砂だらけでした。
 
今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in モロッコ その2 ワルザザート

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
カサブランカからワルザザートまでバスで移動しました。
ワルザザートはアジフタイティリ川の両岸に広がったオアシスの小さな町です。道路も歩道も広々としており、のんびりとした雰囲気が漂っています。通りを歩いているとすれ違う
子供たちが挨拶してきます。「ニーハオ」と。
 
さて前回の記事で書いたのですが、前日に雪のためにバスが来ないと聞かされ、次の日の出発となります。
雪で走れないということは、一晩待ったぐらいで通れるようになるのだろうかという私の思いは杞憂に終わり、その日は予定通り朝7時に出発しました。
 
指定されたバスの座席に行くと、既に年配のおじいちゃんが荷物と一緒に占拠していました。モロッコに来てよく見かけるとんがりフード付きのローブを着て、狭そうに膝を曲げて腰掛けています。
私がそこは私の席だと伝えると、横の空き席を指差してそっち座れとの事。
まあ、半分くらいが空き座席だったので素直に従ってそっちに座りました。
 
バスはまずマラケシュを目指して走ります。途中の景色は広大な平地がひたすら広がっています。高速道路にも他の車はほとんどなく、バスは順調に進んで行きました。雪は全く見当たりません。
 

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12時頃にマラケシュに到着。バスの乗客は増え、満席になりました。
 
一時間の休憩を挟み、ワルザザートに向かいます。だんだんと景色が変わり、
バスは山の中を登って行きます。外に何か白い物が見えると思ったら積もった雪
でした。
 

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進むに従ってどんどん雪が増えていきます。そのうち雪が降り始めました。
標高が上がるに従って、雪まで降り始めました。道路脇に生えているサボテンが
すっかり雪に埋もれています。
地元の人は道路脇に車を停め、大人も子供も雪で遊んでいました。
そのうち雪が本格的に降り出し、風も強くなっていきました。周りの景色は
完成に雪山真っ只中です。このただならぬ光景に地図を確認、この時初めて
気付いたのですが、マラケシュワルザザートの間には大きな山脈、3000m級の山が
連なるアトラス山脈が横たわり、バスはこの雪の中、山越えをしていたのです。
この道の標高は何と2000m越えのようです。
ワルザザートに着いてから聞いた話では、ここ数日マラケシュワルザザートを繋ぐこの道は雪で通行止めになっていたとのことでした。
 

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周りは雪山ばかりです。ぱっと見、長野の雪山と代わりませんが、よく見ると山は
岩山でところどころ赤い岩肌が見えており、たまに見かける木々も背の低い小さな木
ばかり。
そして猛吹雪の中、バスが止まりました。そのまま一時間ほど停車。外は凄い吹雪です。何かトラブルがあったのかと心配になった頃、バスは再び走り出しました。途中、何台もの除雪車とすれ違った事から、道路除雪がやっと終わったところのようです。
 
ここから景色は一気に変わっていきます。徐々に雪は減っていき赤い大地が見えるようになります。一時間も走ると道路付近にはすっかり雪は無くなります。
代わりに様々な色した大地が見えてきます。この辺りは地層が保たれているのか、薄い赤、抹茶色、黄土色とくっきりウェハース状に地層が分かれており、その上に雪の白を加えた色鮮やかなこの地層になっています。時には切り立った崖になり、地層が曲がりくねってなだらかな丘となり、時には真っ平らな平地となり、遠くの丘にぐるりと囲まれてクレーターの中を走っているかのような景色など、道中楽しませてくれました。
 

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ワルザザートには夕方の6時頃到着。バスターミナル前に待っていたタクシーにぼったくられながら宿に向かいます。今回泊まったのは郊外のドミトリー宿、一泊850ディラハム、千円程度。朝食付き。格安です。
暖かいシャワーは出ましたが、広々としたドミトリー部屋は私一人で暖房無し。余計に寒く感じます。モロッコに来てから寒い場所ばかりにいて風邪を引きそうだったので、その夜の内に宿探し。電話して暖房がある宿を見つけました。
 
次の日の朝、ドミトリー宿に別れを告げ、昨夜調べた宿に向かいます。
この宿はmarmarホテル。暖房付きの部屋をお願いしました。少し値切り一泊205から190ディルハムになりました。部屋は清潔、広々したシャワールーム、エアコン付きで言うことありません。ここなら一息つけそうです。
 
せっかくワルザザートに来たので、アイットベンハドゥの集落に行く事にします。宿で聞いたところだと、バスは無いので大型タクシーで皆んなで割り勘で行った方が良いとの事ですが、あいにく一人。近くにいる他のツーリストに声をかける勇気もありません。
タクシーの運ちゃんに値段を聴くと往復150ディルハム。ここで値段交渉すれば結果的に楽に安く行けたのですが、持ち前の貧乏性で近くまでバスで移動、そこからタクシーを使って移動しました。トータルで115ディルハム
 
アイットベンハドゥ前に行くと、一人の外国人の若者に声掛けられました。ワルザザートに帰りたいが、ユーロしか金がない。助けてくれとのこと。私は二時間後にタクシーが来る約束したから、その時なら乗せてあげられると言い、後で合流する事にします。
 
アイットベンハドゥは丘の上に作られた小さな町でした。町中はみなお土産屋さんになっていました。家々を縫うようにして階段があり、頂上に着きます。
上には小さな小屋があり、周りの風景が一望できます。
 

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この辺りは小さなオアシスらしく川もあり、また色とりどりの地層が広がっています。
その先には赤い丘が横に広がり、そのさらに奥に雪山が見えます。アトラス山脈でしょう。
 

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集落の写真を見ようと思い、いったん集落を出て川沿いに移動。
 

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アイットベンハドゥの観光も終わり、先ほど出会った若者を待ちますが、
見当たりません。しばらく待ちましたが結局来ず。
2時間も待っていれば別の手段を見つけたのだろうと思い、タクシーでワルザザート
戻りました。
 
帰り道タクシーの運ちゃんにメルズーガに行くためのバスチケットを取ることを伝えると、
スプラトゥースというところで買えると教えてもらったのでそこまで送ってもらい、
バスチケットを確保します。155ディルハム、荷物代で5ディルハム
 
次の日はワルザザートにある映画撮影スタジオに行ってみました。
この町ではタクシーで何度もぼったくりにあっているので嫌気が差し、徒歩1時間かけて移動。
 

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このスタジオでは映画のグラディエーター等の撮影に使われたようです。
中に入ってみると何だか様子が変。施設のあちこちに資材が置かれています。
入口で中に入りたい旨を伝えると、自由に見て良いよとの事。
中に入ってみるとほとんどの建物が工事中で、鑑賞できるような状態ではありませんでした。
ある意味舞台裏を見ることが出来たかと思い納得することにします。
 

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この施設はホテルも併設しており、プールまでありました。
ブルジョアの雰囲気に浸りたくてプールサイドでゆったりしました
 

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その後は、近くのバス停からローカルバスに乗って町に戻ります。町の繁華街で夕食を食べ、スーパーマーケットでビールとつまみを買って帰ります。
 
今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in モロッコ その1 カサブランカ

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
2月時点でとても寒かったイタリアを鑑みて、南にあるモロッコならもっと暖かいのでは
ないかと思い、モロッコに移動しましたが残念ながら予想は完全に外れました。
昼間でも凍えるほど寒いです。しかもこの国ではどこに行っても
暖房はありませんでした。
暖を取る為街中を歩き周りましたが、鉄道の駅中もバスターミナルの中も、飲食店の中でも使っていません。
まるでこの国では暖房器具という存在が知られていないかのようです。
 
さてさてモロッコカサブランカに移動しました。
 
ローマからの移動経路です。Roma Termini駅からフィウミチーノ空港までシャトルバスが
あったのでそれに乗って行きました。移動時間は1時間ほど、値段は6ユーロでした。
飛行機でカサブランカムハンマド空港に向かいます。
 
フィウミチーノ空港の航空会社のチケットカウンターでも
特に問題なくチケットを受け取れました。
飛行機待ち時間の間に空港内をうろうろしていると、あるものを発見してしまいました。
それはなんとラーメン。中国のラーメンではなく日本のラーメン屋。
メニューも日本語で書いてあります。お店の名前は味千ラーメン
メニューにはパイコーラーメンなどもありましたが、
標準と思われる「味千ラーメン」の値段を見ると12.5ユーロ(1700円)。
た、高い。けど久しぶりにラーメン食べたい。。。
お店の前をしばらくうろうろし、ええいままよと思い入店。
出てきたラーメンを見たところ、写真のラーメンより具がずいぶんあっさりした感じ。
野菜は四角く刻んだキャベツが少々、チャーシュー、煮卵。
スープは豚骨醤油か、全体的にまあまあ。日本から離れた場所でラーメンを
食べられることを考えるとこんなものでしょうか。
 
ロッコカサブランカムハンマド空港についたのは夜7時半ごろ。
飛行機から降りるときに強い雨が降っていました。砂漠の国でもこんなに雨が降るのかと驚きます。
入国審査でも特に問題となることも無く。「ここには初めて?」「ハイ」だけで終了。
荷物カウンターから出てきたソフトケースも雨でぐっしょり濡れていました。
これにはげんなりしましたが、雨の少ない国だから搬送の際に濡れることを想定していないのでしょうか。
 
空港の中でキャリア会社を探すと、maroc telecomの文字が書かれたお店があったのですが、
どうもお店の雰囲気が普通のスマホグッズのお店のようで、キャリア会社ぽくありません。
カウンターにはプラン説明の紙などもありませんでした。
値段を聞くと、5Gbyteと通話料込みで150ディルハム(1800円)。
事前のネット情報より高い気がしますが、色々交渉するのがめんどくさくて
それでお願いしました。
別にこれがこれがぼったくり価格だとは言いませんが、あえて高いプランに入らせるのもどうかと思います。
トルコの時も、キャリア会社でカウンターに安いプランが提示されているにも
関わらず、高いプランしか選べないと言われたりしましたし。
 
空港から出て、タクシーに乗って宿を目指します。
タクシー待ちの列に並んでいると、30歳ぐらいの男の人に「タクシー?」と声を掛けられます。
値段を聞くと300ディルハムUberで宿までの値段を調べると300ちょっとだったので、
ぼったくり価格では無さそう。このタクシーに乗ることにしました。
 
タクシーの中で運ちゃんと色々話をしました。
「私は日本から来ました。モロッコは暑い国だと思っていたけど、
とても寒いね、しかも今日は雨が降ってる。モロッコで雨降るなんてめずらしいのでは?」
「モロッコではほとんどの時期が晴れだからね。今はモロッコにとっていい季節だよ。
水は野菜や果物が育つのに必要だからね」
「なるほどね、でも自分は観光に来たから悪いタイミングだよ」
「今日から6日間雨が続くよ」
「え!ほんとに?他の地域は大丈夫?降らない?」
カサブランカだけね」
「よかった」
 
会話ついでにマラケシュワルザザート行きのバスを知らないかと尋ねたところ、
CTMという会社が良いと教えてくれました。
メモに書いてもらいます。このメモを他のタクシーに見せれば連れて行ってくれるよ。
その宿からだと30ディルハムだよと相場まで教えてくれました。
 

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宿前に着いた時にタクシーの運ちゃんにBookingの宿情報を見せてみろと言い、
私の代りに書かれた電話番号に電話し、私が待っていることを
オーナーに伝えてくれました。
10分ぐらいしたら来るからねと言い残し、お土産にオレンジまでくれました。
 
今回宿泊したのはジトゥーナアパートメント(Zitouna Apartment)です。
アパートメントというのは宿と何が違うのか分かっていなかったのですが、
これは個人オーナーが空き部屋を貸してくれるというシステムらしく、
アパートの前に行っても誰も居ません。自分でオーナーと連絡を取って、
鍵を受け取って部屋を使わせてもらうというシステムのようです。
しかも今回のオーナーは英語があまり分からないとの事で、
私の英語もダメダメなので、もし私が電話で連絡を取っていたら
待ち合わせ場所の説明などで相当苦労するところでした。
普段めったにタクシーなどで会話などしませんが、たまたま良いタイミングで
良い人に出会えたようです。
 
交差点で寒さに震えながら待っていると、しばらくして一台の車が止まり、
妙齢の男性が笑いながら話しかけてきました。彼がオーナーのようです。
車に荷物を載せると、別の場所に移動、近くの建物に案内されました。
まて、Booking.comの登録住所と違うのかい。
 
部屋はかなり内装が綺麗で、居間とキッチンまであります。
普通に人が住めそうな環境です。残念なことに、この寒い時期に
暖房設備がなく、ガタガタと震えて過ごすことになりました。
 
次の日の朝、バスのチケットを確保しにCTMのバスターミナルに向かいます。
外を歩くとロバが荷台を引いて歩いていました。
 

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しばらくすると強い雨が降ってきたため一旦部屋に戻り、
雨が小降りになったところで再度出かけます。
 
大通りでタクシーを捕まえ、昨日書いてもらったCTMのメモを見せたところ、
無事伝わったらしく、CTMのバス乗り場まで送ってもらいました。
タクシーは途中で他の人が乗り降りしました。こちらのタクシーでは、行き先が一緒の客を乗せるようです。
 
バスターミナルはカサブランカの中心街にありました。
周りには小奇麗なブティックやマックやバーガーキングなどの看板も目立ちます。
 
インフォメーションカウンターに行き、カサブランカからマラケシュ行きと
ワルザザート行きのバスを尋ねたところ、その方向は1日に三本との事でした。
しばらく悩んだ末、深夜発のチケットを取ることにします。
夜中のうちに移動すれば昼間活動できます。乗車時間は11時間との事。
 
無事チケットを確保したので、少しカサブランカの街を歩いてみます。
まず海が見たいと思ったので海岸を目指して歩いていくと、近代的なデザインの建物が見え、
多くの人たちが中に入っていきます。
その後をくっついていくと、そこはCasa port駅でした。
ここからONCFを利用しでモロッコの各地に移動できるようです。
電車で移動するという手もあったのかと思いましたが、メルズーガに行くには
どちらにしてもバスに乗る必要があります。
 

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中は広々としたお洒落な空間で、そこで昼食を取りました。
ローカルなファーストフード店でハンバーガーを注文。
 
その後駅を出て海岸近くの幹線道路を歩きましたがそこから海岸沿いは近づけないらしく、
そんな道を歩いても面白くないので、少し道を外れて歩いたところ、
細く曲がりくねった地域を通りました。小さな衣服店や飲食店、家電店、
様々な野菜、果物を扱った店や、本屋、瀬戸物を扱ったお店もあり
タジン鍋を写真に撮っていたところ、お店の人に追い払われました。
 

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また、生きたニワトリを扱ったお店までありました。
多分注文するとその場で絞めて出してくれるのでしょうが、
その現場を見たくないので足早に通り過ぎます。
 
歩き続けると、やがて海岸近くにあるハッサン2世モスクが姿を現しました。
このモスクは広大な広場ととても高い塔が目を引きました。
 

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帰り道、車に乗ったおじいちゃんにしつこく声を掛けられます。
ひょっとして親切にも旅行者を乗せてくれるというのでしょうか?
近づいて話を聞くと、ただの個人タクシーでした。しかも指定された金額が高く、
交渉決裂。行きのタクシーで35ディルハムだったのに、帰り道で100ディルハム
なんて払えません。
タクシーを断り途中まで歩きましたが、しんどくなってきたので、
ローカルバスで地元民と一緒にバスに揺られて帰りました。乗車料5ディルハム
 
夕方近くなり、夕食をどうするか考えているとタジン鍋が並んだお店を見つけました。
  

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鍋は今まさに何か煮込んでいるようで、それを一つ頼みました。店内に入ると妙に暗い。照明が点いていません。
 
出てきたのは豚の煮込み。匂いが気になると思ったら、骨ごと煮込まれていました。
いわゆる豚骨ラーメン屋の匂いです。
しかし豚骨スープのような旨味はあまり感じられず、別皿に盛られた塩、コショウをふりかけ食べます。他には丸くて平べったいパン、刻んだトマトのサラダ、お茶がついて81ディルハム
 
帰り道に寄った八百屋でオレンジ数個購入。そのお店も暗く、中にはバーナー式のランプが薄暗く店内を照らすばかり。
 
アパートに帰ってきて、照明をつけようとスイッチを入れたところ入りません。そこで私はこの地域が停電になっていた事に気付きました。通りで町全体が暗いわけです。
てっきりこの国では照明を使わないのかと考えてました。
その夜は持参していた懐中電灯を使い、薄暗いシャワー室でシャワーを浴びるのでした。
 
その次の日は朝からバスターミナルでひたすら深夜発のバスを待ちます。
宿のチェックアウト時間が朝だった事、重い旅行カバンを持ち歩きたくないこと。さらに天気予報では昼間雨が降る予報だった為、食事の時しかターミナルの外に出ませんでした。
しかしバスターミナルの中はとても寒い。外と気温は代わりません。
ガタガタ震えながら待ち続けます。深夜近くになり、私の顔を覚えてくれていた係員が
そろそろ時間だと教えてくれます。しかしカウンターに行くと何だか風向きが怪しい。
なんと雪で今日はもうワルザザートに行くバスは来ないとのこと。
明日の朝にまた来るように言われます。一日中待ち続けた事が無駄になった事に肩を落として、バスターミナル近くにある宿に行きます。
 
その時泊ったのはホテルManar。小綺麗なホテルでその分高め。
朝早くに出るから安くしてくれと言って450ディルハムを370にまけてもらいます。
雪とか言っていたけど本当にワルザザートに行けるのだろうかと考えながら眠りにつきました。
 
今回はこの辺で。ではでは。
 

2018年 世界一周旅行 in イタリア その4 ローマ

ご覧いただきありがとうございます。ヒロです。
 
ローマ巡りは続きます。主にダンブラウンの天使と悪魔の舞台巡りですね。
 
どうやって観光地を回るか思案しましたが、一日回って分かったのは
場所によってはローカルバスの待ち時間が長すぎて使いにくい事。
観光地が近いエリアでは徒歩で移動することも多いので、一日乗車券を使うとバスが
勿体なく感じます。
一回乗車券を買って、乗りたい時だけ乗車券を使えばいいかと思い、
乗車券を2枚購入。計3ユーロ。しかしその後このチケットは一度も使わず紛失することになります。
 
コロッセオに徒歩で移動。リベンジします。
その日は無事に内部に入ることが出来ました。確か12ユーロ、1400円ぐらい。
平日午前中にも関わらず、チケット売り場には行列が出来ていました。
復元模型を見ると、現代のコンサートホールにそっくりです。
 

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コロッセオのすぐ近くにあるパラティーノの丘に行ってみます。
コロッセオのチケットと共通らしく、追加料金を払うことなく中に入ることが出来ました。
この場所にはお城かお屋敷の跡地らしきものが広大な敷地に広がっていました。
 

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ギリシャ神殿のような外見をしています。
 

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パンテオンです。関係あるのかどうか分かりませんが、ギリシャパルテノン神殿
外見は似ています。ラファエロの墓もここにあるそうです。
 

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ナヴォーナ広場です。ここにはベルニーニの四大河の噴水があります。
すぐ横にサンタンニェーゼインアゴーネ教会があります。
ここの教会の中に丸いドームに描かれた絵画は見事でした。
 

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サンタンジェロ城です。このお城は戦時中に教皇が避難する際にも使用されたとの事です。
 
 

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サンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂です。
この教会の装飾も見事でした。
床に謎のラインと文字が描かれていました。
これは想像ですが、教会に差し込んだ光が日時か季節を表しているという
舞台装置なのでは無いでしょうか。
 

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スペイン広場です。この周辺エリアにはおしゃれなお店が立ち並んでいます。
 

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ポポロ広場です。広場の中央にはオベリクスが設置されています。
オベリクスはカリギュラ帝によってエジプトから持ち込まれたものだそうです。
 

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この豪華な建物は最高裁判所だそうですが、あまりに装飾がすごくまるで美術館のようです。
 

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話は少し変わりますが、ローマの至る所にピザ、パスタの店があります。
その中で私が気に入ったのは、Pinsereというピザ屋さんです。
カウンターしかない、立ち食いソバならぬ立ち食いピザです。
ここのピザにすっかりハマりました。
カウンターに並べられたピザを選ぶと、かまどに入れて焼いてくれます。
5分ほどすると焼き上がり。生地は薄くてパリパリ。具も含めてとても美味しかった。
これで3.5から5ユーロぐらいですので、いう事ありません。
数日間、ずっとここのピザを食べていました。
 

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ここからはダンブラウンの天使と悪魔の聖地巡りになります。
紹介した場所と被る場所もあります。
小説や映画を見ていない方はネタバレにご注意ください。
 
第一の科学の祭壇、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会です。
外装は改装中で足場に覆われていたのが残念です。
そして中に入るとキージ礼拝堂がありました。キリスト教では一般的なのか
分かりませんが、有名著名人の場合は教会の中に墓が設置されるそうです。
そして小説の通り、壁面にはピラミッドが設置されており、床には骸骨の絵が描かれています。
この骸骨の絵が描かれた丸い石板が蓋になっていて、これが地獄の穴と呼ばれるものです。
昔、有名人の家族、親戚はこぞってこの教会の中の墓という絶好の場所に安置されたがったそうです。
そこで教会が考案したのがこの床下に作られた簡易的な墓で、この中に
多数の遺体が安置されたそうです。
 

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そして問題の次の祭壇を表すベルニーニのハバククと天使です。
この天使が指さすその先にあるものとは・・・
 

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第二の科学の祭壇、サンピエトロ広場のウェストポネンテです。
実物を見たのですが、実はこのレリーフは中央の噴水を丸く囲むように
多数設置されています。 
ですが、作中に使われている次の祭壇を表しているレリーフは、
このレリーフで間違いないと思います。真東を差しているので。
 

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第三の科学の祭壇、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会です。
中は豪華な装飾が施され、またそれらに金色が施されています。
白と黄金の色の組み合わせはゴージャスさを醸し出しますね。
そしてベルニーニの聖女テレサの法悦が展示されています。
天使の持つ矢の先に第四の科学の祭壇があるはずです。
 

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第四の科学の祭壇は、ナヴォーナ広場の中央にある四大河の噴水、
そしてオベリクスの先端にある白鳩が指し示す先に、秘密の集会場があるはず。
 

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サンタンジェロ城です。イルミナティの最後の集会場がある場所です。
ここでロバートラングトンとアサシンとの最後の戦いが繰り広げられました。
 

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こんな感じで一通りまわりましたが、実際の教会や彫刻を見ることが出来て
非常に楽しいひと時でした。
あまり良い事ばかり書いてもあれなので、私が現地で感じた事なども。
ローマはとても魅力的な街です。
街の至る所に綺麗な建物があり、教会があり、噴水があります。そして鳩も。
そしてまた多くの観光地で、怪しげな黒人の連中も居たりします。
彼らに何度も絡まれ、強引に腕をつかまれたり時には爪を立てられたりしたことも。
無視して横を通り過ぎて「Fuck you」などとべたべたなセリフを吐かれたこともあります。彼らのおかげで楽しい気分が台無しです。
どうやらこの黒人連中は難民のようです。
この国ではスリも多く、場所によっては麻薬中毒者が多く居たり、偽造紙幣が多数流通しているとか。
難民を受け入れるとしても、受け入れた後にどのように彼らをサポートすれば良いのか
含めてよく検討しなければならないと感じました。
そうなければ彼らもその国で行き場を失い、犯罪行為に手を染めて国全体の治安も
悪化してしまいます。
日本では基本的に日本人しか居ないので、人種問題などもピンときませんが、
自分は人種差別しない!と思っていても、実際に外国に行って現地の人が同じように
考えている訳ではありません。
実際に差別を受ける側になってみると感じるものも変わってきます。
もちろん差別を受ける側の行動にも問題があったりもするのですが、
差別問題というのを解決するのはとても難しいものだという事などを考えたりするのでした。
 
今回はこの辺で。ではでは。